戸田忠明
略歴

合葬墓碑(戸田忠明の墓)
第4代藩主(田原戸田家13代当主、戸田氏24世孫)・戸田忠温の三男[1]。正室は酒井忠学の娘。官位は従五位下、因幡守。
幼少の頃に家督を継いだが、精力的で優れた人物だったため、家老の戸田忠至と協力して藩政改革を行なった。改革では、鉄砲訓練を主にした軍制改革を奨励している。嘉永6年(1853年)、アメリカのペリーが来航してきたとき、幕府に対して武器弾薬を送り、あくまで鎖国体制の維持を主張した。
安政3年(1856年)、18歳で病死した[1]。墓は田原戸田家菩提寺である宇都宮の英巌寺。戒名は霊珠院殿大円全光大居士。跡を弟の忠恕が継いだ[1]。
脚注
- 坂本俊夫『宇都宮藩・高徳藩』現代書館〈シリーズ藩物語〉、2011年9月、78頁。
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