朝日山城 (肥前国)
朝日山城(あさひやまじょう)は、佐賀県鳥栖市村田町にあった日本の城(山城)。
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|---|---|
![]() 新鳥栖駅より見た朝日山 | |
| 別名 | 旭山城 |
| 城郭構造 | 山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 朝日資法 |
| 築城年 | 建武元年(1334年) |
| 主な改修者 | 不明 |
| 主な城主 | 朝日氏 |
| 廃城年 | 天正14年(1586年) |
| 再建造物 | なし |
| 位置 | 北緯33度21分54.4秒 東経130度29分15.0秒 |
| 地図 |
![]() 朝日山城 |
概要
佐賀県鳥栖市村田町の標高132.9mの朝日山山頂に位置する。
中世
1334年(建武元年)、少弐貞経の弟で朝日氏の祖となる朝日資法(但馬守)[1]が築いた。以後200年ほど朝日氏の居城となる。 8代頼貫が享禄年間に討ち死に(1528年に大内義興との戦いで戦死、或いはこのときは大内氏に服属したものの1530年に田手畷の戦いで龍造寺家兼に討たれたとされる)し、朝日山城は一時大内氏の代官が治めた。その後一時少弐氏に誼を通じた九州探題渋川義長が城に入ったが、1532年(天文3年)には少弐氏と北部九州で対立する大内氏の攻撃を受け、主城である綾部城と共に朝日山城も落城した。その後は勝尾城を本拠とする筑紫氏が支配したが、1572年には少弐政興を擁立し龍造寺氏に対抗した朝日山城主筑紫栄門とその父筑紫昭門親子が龍造寺隆信に降伏。筑紫氏は綾部城ほかを龍造寺氏に割譲して和睦した。1586年(天正14年)には北上してきた島津家久に当主筑紫広門が敗れ、勝尾城ともども廃城となった。
脚注
- 「角川日本地名大辞典 41 佐賀県」p.58 朝日山
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 41 佐賀県、角川書店、1991年9月1日。ISBN 4040014103。
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