松井聰
経歴
1915年、福井県福井市に生まれる。府立五中、成城高校を経て、京都帝国大学経済学部に進学する[2]。高校の途中まではサッカーの選手だったが、16歳でバスケを始め、3年の秋には日本代表に選出された[1]。
京大在学中は籠球部に所属し、大学3年時の1936年にはベルリンオリンピックに出場した[1][3]。
大学卒業後は神戸学士クラブに所属し、高校、大学、社会人のすべてで全国制覇を経験した[1]。
現役引退後は日本バスケットボール協会の理事や副会長を務めたほか、1979年夏季ユニバーシアードの団長や日本オリンピック委員会の委員等を歴任した[1][2][4]。
1995年死去、享年80歳。
出典
- “バスケットボールに伝説を残した偉人たち”. バスケット・スタイル・インフォ. 2013年2月12日閲覧。
- 『日外アソシエーツwhoplus』「松井 聡(日本バスケットボール協会副会長)」の項
- 『東京朝日新聞』1936年4月14日東京朝刊4頁「オリムピックへ篭球代表決る 正選手12」
- 『朝日新聞』1979年4月26日東京朝刊18頁「ユニバーシアード選手団長に松井氏」
外部リンク
- 松井聰 - Olympedia(英語)
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