桂宮
桂宮(かつらのみや)は、天正年間に創設された四世襲親王家の一つである桂宮、および昭和年間に創設された宮号の2家が存在した。本項目ではそのうち、天正年間に創設された桂宮について解説する。
| 桂宮家 | |
|---|---|
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| 家祖 |
八条宮智仁親王 (誠仁親王の第六王子) |
| 種別 | 皇族(世襲親王家) |
| 出身地 | 京都 |
| 主な根拠地 |
山城国京都 桂別業(桂離宮) 東京府 |
| 著名な人物 |
智仁親王 智忠親王 |
| 支流、分家 | 広幡家(清華家) |
| 凡例 / Category:日本の氏族 | |
天正創立の桂宮(天正桂宮)
安土桃山時代の天正17年(1589年)に創設され、明治時代に断絶した。主な所領が平安京近郊の桂周辺にあった。石高3000石余は宮家中最大。八条宮→常磐井宮→京極宮の流れをくむ。
八条宮
正親町天皇の第一皇子の誠仁親王の第六王子の智仁親王を祖とする。
智仁親王は初め豊臣秀吉の猶子となったが、秀吉に実子が生まれたため豊臣家を離れてあらたに秀吉から邸宅と知行地を献じられ、一家を立てた。
智仁親王が作った別邸が桂離宮である。本邸跡は今も今出川通に面してあるが、その別邸である桂離宮が京都八条通の沿線上にあったことから八条宮(はちじょうのみや)と呼ばれた。
京極宮
その他
明治期の内閣総理大臣を務めた桂太郎はその功績により、1911年(明治44年)4月21日に公爵に叙されたが、日本の公爵の英対訳は「prince」であるため、偶然にも英訳が桂宮家当主と同じ「prince Katsura」となってしまった。ただし英訳の場合、皇族は他の華族と違いをつけるため、敬称として「H.I.H(His Imperial Highness)」をつけて区別する。
本邸と別邸
本邸は京都御苑内(同志社女子大学今出川キャンパスと京都御所との間)にある。桂宮邸跡には敷地を囲む築地塀と、表門と豪壮な勅使門の二つの門が残る。なお本来あった建物は元離宮二条城本丸に移築されて保存されている。幕末に京都御所が焼失した際に桂宮邸を孝明天皇の仮皇居とした際に造営された庭園跡および池跡が残っており、築地塀や御門などの建物と同様に日本国にとって貴重な文化財である[1]。しかしその庭園も、近年、宮内庁職員ための公営住宅を新設するため、とり壊される危機にあった。近年、閑院宮邸が復元整備され一般に公開されて話題を呼んだことから、桂宮邸跡は宿舎を移設した上で復元整備し、一般には2022年5月20日より本邸跡内が公開された[2]。
邸内には、閑院宮邸と同じく、桂離宮を造営した智仁親王以来の大池を囲む庭園が残る。
幕末には孝明天皇の仮皇居となっていたこともあり、皇女の和宮親子内親王はここから江戸へ嫁いでいる。
別邸・別業としては、著名な桂離宮のほか、開田御茶屋・御陵御茶屋・鷹峯御屋敷・小山御屋敷があった。多くの研究がみられる桂離宮に対して、それ以外の別邸・別殿については西和夫・小沢朝江によって分析がなされている[3][4]。
系譜
幕末の領地
脚注
- “歴史にふれる:京都御苑 | 一般財団法人国民公園協会”. 京都御苑 | 一般財団法人国民公園協会]. 2022年6月14日閲覧。
- “環境省 京都御苑情報館等のオープンについて”. 環境省. 2022年5月10日閲覧。
- 西和夫・荒井朝江「桂宮家の鷹峰御屋敷ー位置と沿革そして御成の様相ー」『日本建築学会計画系論文報告集』第377号、1987年7月。
- 西和夫『近世の数寄空間―洛中の屋敷、洛外の茶屋』中央公論美術出版、1988年。

