橘右龍
経歴
東京都出身。日本大学豊山高校[4]、日本大学文理学部[4]卒業。
寄席文字との出会いは高校での落語研究会。高校2年生で本牧亭に通い出し、寄席文字の魅力にとりつかれ、大学入学後橘右近に正式に入門。芸人とも親交を深める[1][4]。1976年に「橘右龍」の名前を許される。
浅草演芸ホール・東洋館の看板・めくりや各種筆耕などを数多く手掛け、寄席文字を理論的に研究した上での普及と橘右近の作品の継承に携わり、ビラ字研究の第一人者であった。
脚注
- 神田愛山 (2021年9月27日). “橘右龍さんが亡くなりました”. excite blog. 2024年2月11日閲覧。
- 佐藤友美 編『東京かわら版2021年11月号 演芸界最新情報TOPICS』東京かわら版、2022年10月28日、22頁。
- 橘右之吉 / Unokichi T (@unokichit). “悲しいお知らせをしなければならない。”. X. 2024年2月14日閲覧。
- 雪 朱里; 竹内 信平(撮影) (2018年11月21日). “橘流寄席文字書家 橘 右龍”. Edu Town あしたね. 東京書籍. 2024年2月14日閲覧。
- “#16 寄席文字書家:橘右龍(たちばな・うりゅう)”. BS朝日 (2017年10月16日). 2024年2月14日閲覧。
外部リンク
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