次郎太刀
次郎太刀(じろうたち)は、南北朝時代(14世紀)に作られたとされる日本刀(大太刀)である。愛知県名古屋市熱田区の熱田神宮が所蔵する[2]。
| 次郎太刀 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 種類 | 大太刀 |
| 時代 | 南北朝時代 |
| 刀工 | 千代鶴国安 |
| 刀派 | 千代鶴派 |
| 全長 | 244.6 cm[1] |
| 刃長 | 166.6 cm[1] |
| 反り | 2.4 cm[1] |
| 先幅 | 2.77 cm[1] |
| 元幅 | 4.50 cm[1] |
| 先重 | 0.76 cm[1] |
| 元重 | 1.65 cm[1] |
| 重量 | 5040.0 g[1] |
| 所蔵 | 熱田神宮「剣の宝庫 草薙館」(愛知県名古屋市熱田区) |
| 所有 | 熱田神宮 |
概要
刀工について
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した刀工である千代鶴国安によって作られたとされる刀である[3]。千代鶴国安は元々来国安の門人であり、京で活躍していた来派の門人が越前国を中心とした北陸方面に進出した刀工一派である千代鶴派の祖と言われている[2][注釈 1]。一方で国安在銘の作品は少なく、次郎太刀も無銘であり本阿弥家に次ぐ研師の名家である木屋家によって朱銘で千代鶴国安と極められた刀である[3]。
名前の由来
元々は、越前朝倉家の家臣である真柄直隆とその子・隆基の所用のものと言われている大太刀が2振り存在し、真柄太刀と呼ばれる2振りのうち1576年(天正4年)に山田吉久に奉納された刃長221.5センチメートルである大太刀を太郎太刀と呼び、刃長166.6センチメートルである本作が次郎太刀と呼ばれている[3]。
『明智軍記』には、千代鶴の刀工が有國、兼則という刀工の相槌により2振りの大太刀を作った記されており、7尺8寸の太刀を太郎太刀と号し、6尺5寸の太刀を次郎太刀と号したとされる[5]。太郎太刀は従僕4名が担いでくるものを直隆は軽々しく提げており、隆基も次郎太刀を弓手の肩にかけて二陣(2番備えの軍勢)に続いたとされている[5]。
熱田神宮へ伝来
1570年(元亀元年)、織田信長・徳川家康と浅井長政・朝倉義景が対立した姉川の戦いにより、朝倉方は敗走を余儀なくされ、味方の退路を確保するため追手が来ないよう殿(しんがり)として直隆と隆基も太郎太刀と本作を用いて奮戦するも、健闘かなわず青木一重によって討ち取られる[6][2][注釈 2]。その後、渡った経緯は不詳であるが佩表側の刀身下半に「熱田大明神奉寄進御太刀信長御身内熊若夫婦之者也」、佩裏側の刀身下半に「元亀元年八月吉日」とあることから、合戦の直後に信長側の人間である“熊若夫婦”が熱田神宮に奉納したことがわかる[3]。なお、夫婦連名で奉納した“熊若夫婦”がどのような人物であるかは明らかではない[3]。その後、熱田神宮宝物殿に展示されていたが、2021年(令和3年)10月に熱田神宮の令和の代替わりを記念して建設された「剣の宝庫 草薙館」が開業したことから、現在は同館にて常設展示されている[7]。
作風
脚注
注釈
出典
- 京都国立博物館『特別展京のかたな : 匠のわざと雅のこころ』(再販)111頁、2018年9月29日。
- 橋本麻里(構成) 2018, pp. 61.
- 京都国立博物館 2018, p. 111.
- “千代鶴神社”. 千代鶴神社. 2024年1月22日閲覧。
- 南条郡教育會『福井縣南條郡誌』1934年5月、548頁。 NCID BN08685928。
- かみゆ歴史編集部編集『物語で読む日本の刀剣150』イースト・プレス、2015年5月20日、100頁。ISBN 9784781680026。 NCID BB18681317。
- 熱田神宮に伝わる宝刀を展示「草薙館」が開業 展示方法も剣独特に - 朝日新聞 2021年11月28日閲覧
- 熱田神宮の大太刀に「三郎」? - 朝日新聞 2019年11月19日閲覧
参考文献
- 京都国立博物館 著、読売新聞社 編『特別展京のかたな : 匠のわざと雅のこころ』(再)、2018年9月29日。 NCID BB26916529。
- 橋本麻里(構成)「物語る刀剣たち。」『BRUTUS』第17巻第39号、マガジンハウス、2018年9月15日、ASIN B07G1SC551。