比志島義輝

比志島 義輝(ひしじま よしてる、1847年10月11日弘化4年9月3日) - 1927年3月14日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将日本体育会体操学校(のちの日本体育大学)代表。

比志島義輝

経歴

鹿児島県出身。比志島蔵の長男[1]

1885年(明治18年)7月、参謀本部第1局第1課長に就任。1886年(明治19年)5月、歩兵第19連隊長に転じ、1887年(明治20年)11月、歩兵大佐に昇進。1889年(明治22年)9月、歩兵第1連隊長となり、1892年(明治25年)9月、第4師団参謀長に異動したが、同年11月に休職。日清戦争末の1895年(明治28年)1月27日、後備歩兵第1連隊長として復帰し、同月31日、台湾混成支隊司令官に発令され、台湾に出征し澎湖諸島を占領(乙未戦争)。同年8月、陸軍少将に進級し台湾兵站監に就任。

1896年(明治29年)3月、台湾守備混成第3旅団長に移る。1898年(明治31年)4月、歩兵第15旅団長となり、1901年(明治34年)2月18日、予備役に編入[2]日露戦争勃発により1904年(明治37年)4月に召集を受け、鴨緑江軍隷下の後備歩兵第9旅団長に就任し奉天会戦などに参加。1906年(明治39年)2月17日に後備役編入となり[3]、同年2月27日、陸軍中将に進み[4]召集解除となった。1910年(明治43年)4月1日に退役した[5]

栄典・授章・授賞

位階
勲章等

脚注

  1. 人事興信所 1915, ひ11頁.
  2. 『官報』第5286号、明治34年2月19日。
  3. 『官報』第6921号、明治39年7月25日。
  4. 『官報』第6797号、明治39年2月28日。
  5. 『官報』第8073号、明治43年5月23日。
  6. 『官報』第176号「叙任」1884年2月2日。
  7. 『官報』第1970号「叙任及辞令」1890年1月25日。
  8. 『官報』第3799号「叙任及辞令」1896年3月2日。
  9. 『官報』第5312号「叙任及辞令」1901年3月22日。
  10. 『官報』第61号「叙任及辞令」1927年3月16日。
  11. 『官報』第718号「賞勲叙任」1885年11月20日。
  12. 『官報』第3838号・付録「辞令」1896年4月18日。
  13. 『官報』第3732号「叙任及辞令」1895年12月5日。
  14. 『官報』第4027号「叙任及辞令」1896年11月30日。
  15. 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。

参考文献

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