汪皇后
| 汪皇后 | |
|---|---|
| 明の皇后 | |
| 在位 |
正統14年12月2日 - 景泰3年5月2日 (1449年12月16日 - 1452年5月20日) |
| 別称 | 孝淵粛懿貞恵安和輔天恭聖景皇后 |
| 出生 |
宣徳2年(1427年) 順天府 |
| 死去 |
正徳元年12月23日 (1507年1月5日) 順天府 |
| 埋葬 | 景泰陵 |
| 配偶者 | 景泰帝 |
| 子女 | 固安公主、公主 |
| 父親 | 汪瑛 |
生涯
金吾衛三品指揮使であった汪泉の孫娘。正統年間、郕王朱祁鈺(後の景泰帝)の邸に入り、正室となった。2人の女子を産んだ。土木の変により景泰帝が即位すると、皇后になった。父の汪英は正一品都督に封じられた。
気性の激しい女性だったといわれるが、しかし良妻として名高い。景泰3年(1452年)、景泰帝は甥の皇太子朱見深(後の成化帝)を廃すと、実子の朱見済を皇太子に立てようと図った。汪皇后はそれに反対したが、景泰帝は激怒して汪氏を廃し、代わって杭氏(朱見済の母)を皇后に立てた(景泰年間に崩じた)。奪門の変後、汪氏は郕王妃に降格した。
正徳元年12月23日(1507年1月5日)、薨去した。王鏊の建議により、妃の礼で葬られ、皇后の礼で祭祀された。また、貞恵安和景皇后という簡素な諡号が贈られた。南明において弘光元年(1645年)、孝淵粛懿貞恵安和輔天恭聖景皇后の諡号に改められた。
子女
- 固安公主
- 公主
参考文献
- 『明英宗実録』
- 『明史』
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