河村城

河村城(かわむらじょう)は、神奈川県足柄上郡山北町にあった日本の城

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河村城
神奈川県
城郭構造 連郭式山城
築城主 河村氏
築城年 平安時代末期?
主な改修者 後北条氏
主な城主 不明
廃城年 不明
遺構 郭、堀切、復元畝堀、井戸
指定文化財 県指定文化財
位置 北緯35度21分20.9秒 東経139度04分37.6秒
地図
河村城の位置(神奈川県内)
河村城
河村城

概要

平安時代末期に築城され、相模甲斐駿河三国の境界線が交差する要衝の近くに築かれた山城である。

歴史・沿革

河村城は平安時代末期に藤原秀郷の流れをくむ河村秀高によって築かれたとされる。

建武の新政南北朝時代に入ると、河村氏新田氏に協力し南朝方につき、北朝方の足利尊氏と対峙したといわれ、1352年(南朝:正平7年、北朝:文和元年)から2年間、河村秀国河村秀経らは新田義興脇屋義治とともこの城に立てこもり、畠山国清を主将とする足利尊氏軍の攻撃をしのいだとされる。しかし、南原の戦いで敗れ落城し河村一族の多くは討死し、新田義興・脇屋義治は中川城を経て甲州に逃れたとされる。

その後は、この城は畠山国清や関東管領上杉憲実を経て、足利持氏の属将、大森憲頼氏頼の弟)の支配するところとなる。

戦国時代に入ると後北条氏の支配を受けるようになった。元亀年間(1570年(元亀元年) - 1573年(天正元年))には甲斐国武田信玄の侵攻の際に補強され、その後、周辺の諸城とともに後北条氏と武田氏の間で争奪合戦があったとされる。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、この城は落城し廃城となった。

現在

河村城址歴史公園として整備されており、本丸やその他の畝掘などの遺構が見られるが、一部の遺構は山林化して解りづらい。また公園整備が中途半端に放置されていたり、土橋にコンクリートを用いているなど、景観を損ねているとする意見がある。

関連項目

外部リンク

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