津田幸男

津田 幸男(つだ ゆきお、1917年8月15日[1] - 1979年4月17日)は、日本の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはGK兵庫県神戸市出身。

津田 幸男
名前
カタカナ ツダ ユキオ
ラテン文字 TSUDA Yukio
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1917-08-15) 1917年8月15日
出身地 兵庫県神戸市
没年月日 (1979-04-17) 1979年4月17日(61歳没)
選手情報
ポジション GK
代表歴
1938-1953 日本の旗 日本 4 (0)
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

経歴

第一神戸中学校時代に二宮洋一直木和らと共に1933年に全国中等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)で優勝。卒業後には二宮と共に慶應義塾大学へ進学し、体育会ソッカー部へ入部。レギュラーの座を掴むと関東大学サッカーリーグ戦4連覇(1937年、1938年、1939年、1940年)、1937年の全日本総合蹴球選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝、慶應BRB(現役選手とOBからなる混成チーム)の一員として1936年、1939年、1940年の全日本総合蹴球選手権大会 優勝に貢献した。

1941年に大学卒業後、三菱重工業に入社。創設されて間もないサッカー部の主力選手として活躍した。

日本代表としては1938年4月7日のイズリントン・コリンシャンズ(イングランド)戦で代表デビューを飾ると、代表の正GKに定着し、1939年の日満華交歓競技大会、1940年の東亜競技大会に出場した。第二次世界大戦の影響により、選手キャリアを中断したが、戦後の1951年に日本が国際舞台への復帰を認められると代表復帰を果たし、同年3月のアジア競技大会に出場するなど国際Aマッチ4試合に出場した。

晩年は慶應義塾大学体育会ソッカー部OB会会長を務めた。1979年4月17日、パーキンソン病により死去、享年61。[2]

所属クラブ

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 4試合 0得点(1940-1951)
日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1938001010
1939003030
1940102030
1941000000
1942000000
1943000000
1944000000
1945000000
1946000000
1947000000
1948000000
1949000000
1950000000
1951305080
1952001010
1953001010
通算 40130170

脚注

出典

  1. 国際親善試合 1939.08.27 大連”. 日本サッカー協会. 2013年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月31日閲覧。
  2. サッカーマガジン1979年6月10日号P34

外部リンク

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