湯西川温泉
湯西川温泉(ゆにしがわおんせん)は、栃木県日光市(旧下野国)の日光国立公園内にある温泉である。温泉地名の由来ともなった湯西川(一級河川利根川水系)の渓谷沿いに旅館や民家が立ち並ぶ温泉地。
![]() 平家集落(2011年10月23日撮影) | |
| 温泉情報 | |
| 所在地 |
栃木県日光市湯西川 北緯36度57分49.9秒 東経139度35分32.4秒 |
| 交通 |
鉄道:野岩鉄道会津鬼怒川線湯西川温泉駅から日光交通ダイヤルバスで約30分 自動車:日光宇都宮道路今市インターチェンジから国道121号(会津西街道)を鬼怒川温泉方面へ。五十里湖の湯の郷トンネル左折、一般県道249号(黒部西川線)へ。鬼怒川温泉から約45分 |
| 泉質 | 単純温泉 |
| 液性の分類 | アルカリ性 |
| 外部リンク | 日光市観光協会 |

湯西川温泉
泉質・効能
温泉街
歴史
温泉と平家の落人伝説
湯西川の先祖は平忠実(平忠房が改名したと言われている)が落ち延びたとされ、平家の落人伝説の残る集落で知られている。湯西川に伝わる伝説は、次の通りである[1]。
| 「 | 平忠房は紀州で捕らえられ、源氏に討たれたとされているが、実は捕らえられたのは忠房の身代わりであった。忠房は忠実に名を変え、紀州から中山道を抜けて下野国の宇都宮朝綱を頼り、朝綱は領地警護の名目で、日光の奥地に住まわせた。この噂を聞いた源氏は奥州合戦に向かう途上で、鶏頂山に隠れ住んでいた平家の残党約200人を奇襲した。奇襲を受けたうちの約40人は鬼怒川に沿ってさらに山深くへ逃げ、湯西川と川俣に分かれて隠れ住み、武具を隠し、山の民を装うことで、生き延びた。 | 」 |
平家の落人伝説を裏付けるものとして、平家塚(大夫塚)が残る[2]。大夫塚は平家の里のそばにあり、平家一門を埋葬する土墓とされている[2]。温泉の発祥は天正元年(1573年)で、平家の落人の子孫が発見したと伝わっている[3]。追討から逃れ、身を潜める山村生活を営み生きるため、この地では今もなお端午の節句に鯉のぼりを揚げない[4]、たき火をしない(煙を立てない)、鶏を飼わない[4]など独自の風習が残っている。ゴマの代わりにジュウネ(エゴマ)で代用する(=ゴマの穂で忠実の嫡子が目を突き失明したため)、米をとがない(=とぎ汁を流して居場所を知られないようにするため)というものもある[4]。また、旧家では、もはや源氏とは争わないという意志を山の神に誓う証として、注連縄飾りをする[4]。
交通アクセス
- 鉄道
- 東武鬼怒川線経由野岩鉄道会津鬼怒川線湯西川温泉駅から日光交通のダイヤルバスで約30分。
- 自動車
- 東北自動車道宇都宮IC経由日光宇都宮道路今市ICから国道121号(会津西街道)を鬼怒川温泉方面へ。五十里湖の湯の郷トンネル左折、栃木県道249号黒部西川線へ。
湯西川温泉駅から温泉郷へ続く道路は長らく狭隘な山岳道路となっていたが、湯西川ダム建設に伴う付け替え道路として2011年(平成23年)7月までに新道が開通し、線形が大幅に改善された。
脚注
- 芦原 1999, pp. 86–87.
- 芦原 1999, p. 88.
- 下野新聞社 編 2006, p. 114.
- 芦原 1999, p. 95.
- 芦原 1999, p. 125.
- 芦原 1999, p. 98.
- 芦原 1999, p. 126.
- 日地出版編集部 編 1995, p. 117.
- 六地蔵供養塔は、湯西川温泉で最も古い建立物として、日光市の重要文化財に指定されている。
- 旧栗山村歴史年表 日光市ホームページ 更新日:2010年9月1日
- 浅見茂晴「日光市湯西川水の郷 地域活性化へ開館」毎日新聞2011年7月19日付朝刊、栃木版21ページ
参考文献
関連項目
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