王瀹
生涯
王鈍の子として生まれた。永楽4年(1406年)、進士に及第した。翰林院庶吉士に任じられ、文淵殿に入って『永楽大典』の編纂に参加した[1]。永楽7年(1409年)、左春坊左司直郎に任じられた[2]。洪熙帝のとき、鄭王府左長史として出向し、たびたび礼をもって鄭王朱瞻埈を諫めた。『荀子』成相篇をまねて、十二章の文章を編集して鄭王に献上したが、王に合わず顧みられなかった。入朝して戸部郎中に転じた。宣徳10年(1435年)、英宗が即位すると、王瀹は戸部右侍郎に抜擢された。正統元年(1436年)、浙江巡撫として出向した[3]。母が死去したが、喪中に復帰を命じられ、入朝して戸部の事務に留められた。正統6年(1441年)3月、致仕した[4]。
脚注
- 孫奇逢『中州人物考』巻4
- 談遷『国榷』巻14
- 『国榷』巻23
- 『国榷』巻25
- 『国榷』巻29
- 黄虞稷『千頃堂書目』巻19
参考文献
- 『明史』巻151 列伝第39
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