米正秀

米 正秀(よね まさひで、1972年6月11日 - )は、山口県山口市出身の元プロ野球選手投手)。

米 正秀
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県山口市
生年月日 (1972-06-11) 1972年6月11日(51歳)
身長
体重
186 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1994年 ドラフト2位(逆指名
初出場 1995年6月11日
最終出場 2002年8月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

広島県に生まれ、その後山口県に引っ越し、小学5年生の時に地元の少年野球チームに所属する[1]西京高[2]では野球部1期生として3年春には県大会優勝[3]1990年のプロ野球ドラフト会議[4]横浜大洋ホエールズセントラル・リーグ)から5位指名されたが「まだ自信がない」と入団拒否し[1]、野球部最初の卒業生でもあったため、周囲の勧めで[5]社会人野球チームの神戸製鋼へ入社した[2]

社会人時代は三輪隆ともバッテリーを組み、都市対抗野球には補強選手を含めて3年連続で登板[6]。その後、1993年のプロ野球ドラフト会議前にはNPBの8球団から勧誘を受けたが、指名予定順位が3位以下と低かった上、健康面の不安から、また三輪のプロ入りが決まっていたため会社の慰留で[5]ドラフト会議前日にプロ入りを拒否した[2]。翌1994年のプロ野球ドラフト会議でかつて自身を指名した大洋の後身・横浜ベイスターズを逆指名[2]、2位指名を受けて入団した[7]。ドラフト同期には福盛和男(3位)・多村仁(4位)・相川亮二(5位)がいる[7]。巨漢の本格派[7]・即戦力としての期待されていた。

1995年7月12日には対中日ドラゴンズ戦で初完投完封勝利で飾った。

1996年には前年を上回る22試合に登板したが、主に中継ぎや敗戦処理が役目で1勝(1敗)の成績に終わった。

1998年はチームは38年ぶりのセ・リーグ優勝・日本一を達成したが、自身はプロ野球脱税事件に関わっていたとしてシーズン序盤の3週間の出場停止処分を受け、プロ入り後初の一軍登板なしに終わった。

2001年に中継ぎで復活して自己最多の25試合に登板した。

2002年は中継ぎ投手陣が豊富になった中で成績を残せず、シーズン終了後に現役を引退。

現役引退後は2003年 - 2009年まで横浜で打撃投手を務め、2009年の第2回WBC日本代表にも打撃投手として参加した。以後は横浜市の会社に就職。

2016年学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となった[8]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1995 横浜 194110110--.50017441.14291411215022214.571.35
1996 225000110--.50022949.262111606213133325.801.57
1997 50000000------377.1101302400756.141.77
1999 10000000------92.021200300229.002.00
2000 70000000------338.250200400111.040.81
2001 250000110--.50015236.03221324190014102.501.25
2002 80000110--.500389.0102100810555.001.22
通算:7年 879110440--.500672154.01632651313809184764.441.39

記録

その他の記録

背番号

  • 20 (1995年 - 1999年)
  • 40 (2000年 - 2002年)
  • 102 (2003年 - 2009年)

脚注

  1. 『月刊ベイスターズ 1995年2月号』横浜ベイスターズ、1995年、12頁頁。
  2. 中日スポーツ』1994年11月10日第5版2頁「米(よね)が横浜を逆指名 神戸製鋼大型右腕 入団確実」(中日新聞社)
  3. 95スポニチプロ野球手帳
  4. 過去のドラフト 第26回(1990年)」『nikkansports.com日刊スポーツ新聞社、1990年。2020年12月9日閲覧。オリジナルの2020年12月9日時点におけるアーカイブ。
  5. 『読む野球?9回勝負?No.13』主婦の友社
  6. - 都市対抗野球大会80年史
  7. 『中日スポーツ』1994年11月19日第5版3頁「セ交渉権獲得選手」(中日新聞社)
  8. 元ヤクルト宮本慎也氏ら132人が学生野球資格回復 - 大学・社会人」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2017年2月8日、紙面から。2020年12月9日閲覧。オリジナルの2020年12月9日時点におけるアーカイブ。

関連項目

外部リンク

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