紀藤真琴

紀藤 真琴(きとう まこと、1965年5月12日 - )は、愛知県名古屋市天白区出身の元プロ野球選手投手、右投右打)、コーチ。ニックネームは「亀」。

紀藤 真琴
水戸啓明高等学校 硬式野球部 監督
統一セブンイレブン・ライオンズコーチ時代
(2012年9月7日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市天白区
生年月日 (1965-05-12) 1965年5月12日(58歳)
身長
体重
178 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1983年 ドラフト3位
初出場 1987年5月28日
最終出場 2005年8月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

経歴

プロ入り前

名古屋市立高坂小学校名古屋市立久方中学校(名古屋市天白区)出身で中日ドラゴンズファンだった[1]工藤公康(元:福岡ソフトバンクホークス監督)は小中学校の2年先輩に当たる[2][3]

中京高校時代は控え投手兼任外野手として1982年第54回選抜第64回全国選手権1983年第65回全国選手権に出場。主戦投手の野中徹博との2枚看板、Wエースと言われ、球威は野中が一番だが球速は紀藤が一番とも言われた。甲子園では3試合に野中をリリーフして登板。同期には鈴木俊雄もいた。

その後1983年度ドラフト会議にで広島東洋カープから3位指名を受け、入団[4]

広島時代

プロ入り1年目の1984年シーズンから3年間は二軍生活が続き、一軍登板はなかった。

1987年シーズンに一軍初登板を果たす。この年は勝利投手にはなれなかったものの18試合に登板し、頭角を現す。

1988年シーズンは中継ぎ中心ながら10試合で先発登板し、4勝3敗、防御率3.66の成績を残した。

1989年シーズンは中継ぎとしてリーグトップの61試合に登板した[4][5]。この年は先発での登板はなかったが4勝1敗7セーブ、防御率2.68と好成績を残した。

1990年シーズンは前年のシーズンより登板数が減り、36試合の登板にとどまったが防御率2.58とこの年も安定感があった。

1991年シーズンも36試合に登板し、安定感は欠いたがセントラル・リーグ優勝に貢献。しかし、西武ライオンズとの日本シリーズでは第1戦、第6戦に中継ぎ投手として登板したものの第1戦では満塁本塁打[6]、第6戦では3点本塁打を打たれた[7]

1992年シーズンは21試合に登板。

1993年シーズンも20試合の登板で前年のシーズンとそれほど変わらなかった。

1994年シーズンからは先発へ転向[4]。それまでプロ入り10年で一度も2桁勝利がなかったが、このシーズンは山本和行コーチの指導で能力が一気に開花した[8]。8月には自身初の月間MVPを獲得し、シーズンも自身最高となる16勝5敗の成績を残し、4試合連続2ケタ奪三振、最高勝率を記録する。

1995年シーズンは10月8日の巨人戦では、この試合が引退試合となった原辰徳に引退の花道を飾るホームランを打たれた(ただし紀藤は7回でその1失点のみで10勝目を挙げている)。9月17日には広島市民球場巨人戦で槙原寛己から通算1号となるソロ本塁打を放っている。

1996年シーズンは5月に2度目の月間MVPを獲得し、前半戦首位の原動力となり、シーズンではチームトップの12勝を挙げ3年連続二桁勝利をあげたが、後半戦8月末から閉幕まで6連続先発失敗(22回を投げ自責点24の防御率9.81で最後の3試合に至っては5回自責点6、1回1/3自責点3、0回1/3自責点3失点でノックアウトの敗戦投手)し、優勝を逃す要因になった。この年シーズン以降は衰えが顕著になる。

1997年シーズンは開幕直後に負傷降板し、一軍登録を抹消。5月に一軍へ復帰し、シーズン初勝利を完封で飾ったがこの1勝だけに終わる。

1998年シーズンも勝ち星を伸ばせず、3勝8敗の成績で終わった。8月2日の中日戦(広島市民球場)では川上憲伸から通算2号(現役最後)となるソロ本塁打を放った。

1999年シーズンは24試合のうち14試合に先発として登板したが、5勝6敗という成績で終わった。防御率は3点台後半だったが、2試合連続完封勝利をするなどこれまでほどの不振ではなかった。

2000年シーズンは右肘痛もあり、15試合の登板で3勝3敗5セーブ[9]、防御率4.19の成績だった。シーズンオフの10月13日、鶴田泰との交換トレードで子供のころからファンだった地元・中日へ移籍することが発表された[9][10]。背番号は1984年から1987年まで着用していた55を自ら希望し[11]、再び着用することとなった。

中日時代

2000年のオフシーズンは、志願して若手中心の伊良湖での秋季キャンプに参加した[12]

2001年シーズンは、全て中継ぎで21試合に登板し2勝0敗、防御率3.20の成績を残した。オフの12月5日に年俸5000万円(500万円減)で契約更改[13]。また、同年のドラフト会議で1巡目指名された前田章宏(高校の後輩)に背番号55を譲った[14]ため、自身は背番号を17に変更した。

2002年シーズンは30試合のうち7試合に先発として登板。4勝4敗1セーブ[3]で防御率は2.85と安定感があった(30試合以上投げての防御率2点台は12年ぶりである)。オフの12月5日に年俸5500万円(500万円増)で契約更改[3]

2003年シーズンは、5月8日の阪神タイガース戦(ナゴヤドーム)でシーズン初先発[15][16]。打線の大量得点に恵まれ[15][16]、5回3失点(自責点2)で勝利投手になった[15]。同月は4試合に先発し、打線の援護にも恵まれ3勝を挙げた[17]。その後6月末に登録抹消された[18]ものの、一軍復帰登板となった7月23日の横浜ベイスターズ戦(ナゴヤドーム)では6回1失点の好投で5勝目を挙げた[19][20]

同年は川上憲伸朝倉健太といった先発ローテーションを担っていた投手たちが故障離脱したというチーム事情から、主に先発で登板[21]。防御率4.91と安定感を欠いたが、7勝8敗の成績を挙げた。オフの12月11日に年俸6200万円(700万円増)で契約更改[21]

2004年シーズンは12試合の登板に終わり、その年のシーズンオフに球団から戦力外通告を受け、その後無償トレード東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。

楽天時代

2005年シーズンは創設1年目で分配や戦力供出で集まった選手は全盛期を過ぎたベテラン選手が多かった。そのためベテランを多用せざるを得なかったチーム事情において先発投手を任されるが、打ち込まれることが多く、かつての安定感を取り戻すことはできなかった。登板8試合で0勝5敗、防御率6.25という不本意な成績で終わった。楽天は同シーズンオフ、多数のベテラン選手や新外国人選手に戦力外通告を行ったが、紀藤も戦力外通告を受け、現役を引退。満塁本塁打の記録をもつ中村剛也から初めて満塁本塁打を打たれた投手である(6月26日西武戦)[22]

引退後

2006年シーズンには楽天の二軍投手コーチに就任。

2007年シーズンからは一軍投手コーチに昇格し、2008年シーズンまで務め、田中将大を育てた[23]。2008年は楽天球団初のチーム防御率3点台だった[24]

2009年水戸市にあるパーソナル電電株式会社の執行役員となり、市内の少年野球チームの監督を務めた。

2010年シーズンは興農ブルズの投手コーチを1年間務め、2011年シーズンから2013年シーズンまで統一セブンイレブン・ライオンズの投手コーチを務めた。

2014年からは再び先述の会社へ戻り、同時に野球教室「紀藤塾」を開校。小学生から社会人まで幅広く指導。なお、同社には同じく楽天で1年間チームメイトだった一場靖弘がいた。2015年1月30日には学生野球指導資格を回復させた[25]

2019年1月に、茨城県にある私立水戸啓明高等学校の硬式野球部の監督に就任[23][26]。監督を務めながら、同校の職員となった[26]

エピソード

  • 紀藤と木本茂美霊感が強く、独身寮「三篠寮(三省寮)」時代は夜中によく飛び起きたという[27][28]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1987 広島 184000030--.00020848.05091910471123193.561.44
1988 3110100430--.57139693.18393613711040383.661.28
1989 610000417--.80037190.271112734896028272.681.08
1990 362000311--.75026366.14772221531021192.581.04
1991 362000330--.50032175.07982454591039374.441.37
1992 210000001------12327.22821621271014144.551.59
1993 200000110--.5009621.0241100126301083.431.62
1994 30258101650--.762758181.11782856121495082803.971.29
1995 27257211091--.526699169.21562047231335075733.871.20
1996 26266101270--.632719164.11762156251143085784.271.41
1997 178110150--.16722549.163112022380033315.661.68
1998 1817110380--.27341494.2110163011641156535.041.48
1999 2414421560--.455415100.095122126794045443.961.16
2000 154000335--.50014534.13841111290017164.191.43
2001 中日 210000200--1.00010425.12445002820993.201.14
2002 307000441--.50030172.27661212531024232.851.21
2003 2317000780--.46738188.097202105570054484.911.34
2004 121000010--.0008918.2285801100017178.201.93
2005 楽天 880000500.00016836.04991002201028256.251.64
通算:19年 47417028827873160.51761961456.11472203451264411463627006594.071.32
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 最高勝率 :1回 (1994年) ※ (当時連盟表彰なし)。セントラル・リーグでは、1972年までと2013年以降表彰

表彰

  • 月間MVP:2回 (1994年8月、1996年5月)

記録

初記録
  • 初登板:1987年5月28日、対ヤクルトスワローズ7回戦(広島市民球場)、8回表に5番手で救援登板・完了、2回無失点
  • 初奪三振:同上、8回表に八重樫幸雄から
  • 初先発:1987年10月4日、対中日ドラゴンズ25回戦(広島市民球場)、6回2/3を2失点(自責点1)で敗戦投手
  • 初勝利・初先発勝利:1988年4月27日、対中日ドラゴンズ2回戦(広島市民球場)、7回3失点
  • 初完投勝利:1988年10月12日、対横浜大洋ホエールズ25回戦(広島市民球場)、9回1失点
  • 初セーブ:1989年4月15日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、8回裏に2番手で救援登板・完了、2回無失点
  • 初完封勝利:1994年9月4日、対ヤクルトスワローズ23回戦(広島市民球場)
節目の記録
  • 1000投球回:1998年4月17日、対ヤクルトスワローズ1回戦(福岡ドーム)、2回裏3死目に度会博文を三直で達成 ※史上275人目 
  • 1000奪三振:2001年9月16日、対読売ジャイアンツ28回戦(ナゴヤドーム)、7回表に清原和博から ※史上106人目
その他の記録

背番号

  • 55 (1984年 - 1987年、2001年)
  • 12 (1988年)
  • 11 (1989年 - 2000年)
  • 17 (2002年 - 2004年)
  • 30 (2005年)
  • 71 (2006年 - 2008年)
  • 91 (2010年 - 2013年)

脚注

出典

  1. 『中日ドラゴンズ 2001ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、2001年3月9日、24頁。ISBN 978-4806204251。
  2. 「1983年開幕ワイド特集 開幕直前 この男たちの夢と現実と不安 工藤公康(西武) 不安見せない強心臓男の現代的開幕の迎え方」『週刊ベースボール』第38巻第17号、ベースボール・マガジン社、1983年4月18日、33-34頁。(※1983年4月18日号・通巻第1398号)
  3. 紀藤 10%アップ5500万円で契約更改”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年12月6日). 2004年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月26日閲覧。
  4. プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、187ページ
  5. 紀藤 150キロ復活へ汗 休日返上でランニング”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2001年1月21日). 2002年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月26日閲覧。
  6. 1991年度日本シリーズ 試合結果(第1戦)”. NPB.jp 日本野球機構. 2022年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月26日閲覧。
  7. 1991年度日本シリーズ 試合結果(第6戦)”. NPB.jp 日本野球機構. 2022年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月26日閲覧。
  8. 元広島紀藤氏ゴジラとの対戦逸話、監督就任校で講演」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2018年11月24日。2019年12月4日閲覧。オリジナルの2019年12月4日時点におけるアーカイブ。
  9. 広島から紀藤獲得 トレード第1弾 鶴田と1対1”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2000年10月14日). 2001年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月25日閲覧。
  10. 星野監督 大補強宣言 オーナー報告で続投要請され、受諾”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2000年10月14日). 2000年10月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月25日閲覧。
  11. 紀藤55 中日でゴー 昔の背番号で復活します”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2000年10月15日). 2001年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月26日閲覧。
  12. 紀藤 志願参加 伊良湖キャンプへ”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2000年10月30日). 2001年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月25日閲覧。
  13. 紀藤、500万円減、5000万円一発サイン 前田章を鍛える”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2001年12月6日). 2002年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月26日閲覧。
  14. 田上背番9 開幕マスク宣言”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2001年12月16日). 2002年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月26日閲覧。
  15. 紀藤、今季初先発1勝 ローテの谷間にキラリ”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年5月9日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月25日閲覧。
  16. 竜、虎に連勝 ババーンと5発”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年5月9日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月25日閲覧。
  17. 紀藤投げると 竜が打つ 先発転向後のチーム得点「13」→「8」→「6」→「10」”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年5月28日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月25日閲覧。
  18. 紀藤 悪夢の2球 7回、高橋由と阿部に被弾”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年7月30日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月26日閲覧。
  19. 紀藤は腐らない 2軍で1ヶ月再調整 きっちり一発“快投””. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年7月24日). 2004年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月25日閲覧。
  20. 福留3戦連発 初体験 4連勝だ2位だ さあ虎迎撃”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年7月24日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月25日閲覧。
  21. 黙って一発サイン 紀藤  1番の座奪回、定位置死守が目標 荒木”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年12月12日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月26日閲覧。
  22. 週刊ベースボール2015年8月31日号、P57
  23. マー君育てた紀藤真琴氏、水戸啓明の野球部監督就任”. 日刊スポーツ. 株式会社日刊スポーツ新聞社 (2018年11月24日). 2022年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月26日閲覧。
  24. 東北楽天ゴールデンイーグルス 年度別成績 (2005-2021)”. NPB.jp 日本野球機構. 2021年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月25日閲覧。
  25. 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者”. 日本学生野球協会. 2022年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月21日閲覧。
  26. カープOB紀藤真琴さん、高校野球監督に就任「子供たちの夢かなえたい」”. デイリースポーツ (2019年3月14日). 2019年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月18日閲覧。
  27. 【大野さんが呆れた】北別府さんと慶彦さんの競り合い【高橋慶彦】【大野豊】【北別府学】 - YouTube
  28. 川口和久・金石昭人・小早川毅彦の深掘りトーク! お題「楽しき三篠寮生活」【昭和ドロップ・広島カープ編】”. 週刊ベースボールONLINE (2021年10月27日). 2021年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月25日閲覧。

関連項目

外部リンク

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