細川利文
経歴
1865年〈慶応元年〉7月、後に伯爵となる園基祥(羽林家)の二男として生まれる[2][3]。1889年(明治22年)8月には、熊本新田藩(高瀬藩)の藩主であった細川利永の婿養子となる形で、その長女である同子(なみこ)と結婚する[1]。なお、同子は元々子爵・戸田康泰と結婚していたが、康泰と離縁したため利文がその後釜として婚姻したものである。1901年(明治34年)4月29日には、養父である利永の死去に伴って子爵を襲爵した[1][2][4]。
学習院、次いで東京専門学校で学び、後には宮内官僚に転じて常宮周宮御用掛を仰付けられ、後には御歌所参候として活躍した[3]。1944年(昭和19年)3月10日に中野区文園町の自宅で死去し[5]、爵位は長男である利寿が継いだ。
脚注
出典
- 細川利文(『人事興信録』第4版 大正4(1915)年1月 の情報) - 日本研究のための歴史情報 - 名古屋大学 2020年11月23日閲覧
- 『平成新修旧華族家系大成』下巻、479頁。
- 細川利文 (『人事興信録』第8版 昭和3(1928)年7月 の情報) - 日本研究のための歴史情報 - 名古屋大学 2020年11月23日閲覧
- 『官報』第5344号「敍任及辭令」明治34年4月30日(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、2コマ目)
- 『朝日新聞』 1944年3月12日
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.