草軽電気鉄道

草軽電気鉄道(くさかるでんきてつどう)とは長野県北佐久郡軽井沢町新軽井沢駅群馬県吾妻郡草津町草津温泉駅を結ぶ鉄道路線軽便鉄道)を運営していた鉄道事業者(廃止時は東急グループ傘下)。

草軽電気鉄道
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
東京都渋谷区上通2丁目55[1]
設立 1912年(大正元年)9月28日[1]
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、バス事業、不動産、別荘地運動競技場経営 他[1]
代表者 社長 高木時雄[1]
資本金 8,000,000円[1]
発行済株式総数 160,000株[1]
特記事項:上記データは1957年(昭和32年)8月1日現在[2][1]
大正期の草津軽便鉄道(草軽電気鉄道)
電化前の大正期の草津軽便鉄道(草軽電気鉄道)
概要
現況 廃止
起終点 起点:新軽井沢駅
終点:草津温泉駅
駅数 21駅
運営
開業 1915年7月22日 (1915-07-22)
最終延伸 1926年9月19日
廃止 1962年2月1日 (1962-2-1)
所有者 草津軽便鉄道→草津電気鉄道→
草軽電気鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 55.5 km (34.5 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 直流600 V 架空電車線方式
路線図
凡例
国鉄:信越本線
軽井沢駅
0.0 新軽井沢駅 1915-1960
exBHF
1.5 旧軽井沢駅
(2) 1932-1960
旧道駅
exBHF
1.7 旧軽井沢駅 (1) 1915-1937?
exBHF
3.0 三笠駅
1915-1960
精進場川駅
exBHF
6.1 鶴溜駅 1915-1960
exBHF
10.0 小瀬温泉駅
1915-1960
小瀬駅
exBHF
12.6 長日向駅 1923-1960
lGIP
17.3 国境平駅
1920-1960
長野県群馬県
exBS2+r
19.9 二度上駅 1917-1960
exABZgl exABZg+r
exBS2l
exBHF
23.8 栗平駅 1917-1960
exBHF
24.8 湯沢駅
1936-1959?
臨時駅
exBHF
25.8 北軽井沢駅
1918-1960
地蔵川駅
exBHF
28.3 吾妻駅 1917-1960
exBHF
32.4 小代駅 1921-1960
exBHF
36.8 嬬恋駅 1919-1960
exhKRZWae
吾妻川橋梁 吾妻川
exBHF
37.9 上州三原駅 1926-1962
exBS2+l exBS2c4
新鹿沢温泉口駅新嬬恋駅
exBHF exENDEa
38.6 東三原駅 1926-1962
exABZg+l exABZgr
exBS2r
exDST
- 湯窪駅
1926-1962
貨物専用駅
exABZg+l exKBHFeq
万座温泉口駅
1926-1962
←石津平駅
exBHF
48.7 草津前口駅 1926-1962
exBHF
50.0 谷所駅 1926-1962
exDST
- 鳥の窪駅
1927-1929?
貨物専用駅
exKBHFe
55.5 草津温泉駅 1926-1962

鉄道事業廃止後も、会社は草軽交通というバス会社として残っている[3]。本項目では主に同社が運営していた鉄道路線について述べる。

概要

草津温泉は古くより名湯として知られていたが、明治時代後半になっても交通機関が未発達であった。草軽電気鉄道はスイス登山鉄道に着想を得て、軽井沢から草津や浅間山麓の高原地への輸送を目的として着工され、大正時代の1914年 - 1926年にかけて順次開業した。開業に際し、以下のような唄も作られている。

  1. 私や草津の鉄道よ 長い苦労の効あって 開通するのも近いうち 前途を祝して踊ろうよ
  2. 私や上州の草津町 浅間を右に高原の 海抜四千五百尺 お湯じゃ日本のオーソリティー
  3. 湯の花かおる草津には 春は緑に秋紅葉 冬はスキーに夏は避暑 浮世離れた理想郷

この間、1923年吾妻川電力が沿線5か所の発電所建設による資材輸送の必要から草軽電気鉄道を傘下[4]に収めると、同社の重役である河村隆実を社長に就任させ、社名変更、電化、草津温泉への延長、自動車兼営、電気事業など積極的な経営に乗り出し、そのための増資社債発行を実施した。

同時期に法政大学学長の松室致は、自分の別荘が蒸気機関車の火の粉による火災に遭ったため抗議をしに会社を訪れたが、逆に説得され電化事業に手を貸すようになった。そして松室から7.9万坪もの土地の寄付を受け、それを元手に五百坪付の株式を売り出し、130万円の増資に成功した[5]

ところが予想に反して利用者は伸びず、政府の補助金を受けても赤字は埋まらない状態が続いた。配当も途中から無配となり、ついには社債も債務不履行となった。1932年の社債権者集会では利率の大幅引き下げを決議[6]し、その他償還日(1934年9月)の延長は何度も行われ、最終的には1945年9月まで支払猶予したという。

建設費用をできるだけ抑えようとしために急カーブやスイッチバックがいくつも存在し、山岳地帯を走るにもかかわらずトンネルは存在しなかった。勾配がきついところではブレーキをかけるのが大変だったという。それに加え、本来道床に必要なバラストも敷かれない区間もあった。線路規格も極端に低かったことから、55.5 kmを走破するのに2時間半から3時間を要した。

高原地には、嬬恋・北軽井沢等の途中駅があった。高原列車として親しまれ、1951年には日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』にも登場した。旅客輸送だけでなく、温泉地である草津町には食料を中心にした物資を運び、長野原町六合村嬬恋村の3町村から産出される農産物や、草津白根山周辺に点在した鉱山からの硫黄鉱石などが草軽電気鉄道によって輸送されるなど、物流の面でも重要な役割を果たしていた。このため、定期旅客列車は貨客混合が一般的であった。草軽電気鉄道の輸送は第二次世界大戦の終盤にピークに達し、同時期に硫黄の産出もピークを迎えていたことから、当時の硫黄鉱山を経営していた「帝国硫黄工業」と連携して多量の硫黄鉱石が搬出された。また、出征兵士の輸送にも草軽電気鉄道が使われることが多かった。

しかし、1935年に渋川 - 草津間などで国鉄バスが運行を開始するなど[7]して一般のバスの大型化が進むと、草軽の輸送力は他の輸送手段に比べてその差は歴然であり、利用者は次第に減少していった。1945年国鉄長野原線(現・JR吾妻線)が開業(長野原 - 草津温泉間は国鉄バスで接続)すると利用者は一気に国鉄側へシフト。1947年には政府補助金制度も廃止となった。さらには度重なる台風災害によって鉄道施設が大きな被害を受け、1959年の台風第7号による再度の吾妻川橋梁流失が決定的なダメージとなってしまった。周辺住民や地元自治体による存続運動もあったが、1960年の利用者数は全盛期の約8分の1の5万6000人に激減し、第一次廃線として1960年に新軽井沢 - 上州三原間が廃止。残る上州三原 - 草津温泉間も1962年に廃止となった。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):新軽井沢 - 草津温泉間 55.5km
  • 軌間:762mm
  • 駅数:21駅(起終点駅含む。路線廃止時点)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:全線(直流600V)
    • 吾妻変電所、回転変流器(交流側457V直流側600V)直流側の出力250kW、常用1、製造所富士電機
    • 石津変電所、回転変流器(交流側445V直流側600V)直流側の出力250kW、常用1、製造所富士電機
    • 同上、電動発電機(交流側3000V直流側600V)直流側の出力250kW、予備1、製造所奥村電機
    • 小瀬変電所、回転変流器(交流側457V直流側600V)直流側の出力250kW、常用1、製造所富士電機
    • 同上、電動発電機(交流側3000V直流側600V)直流側の出力250kW、予備1、製造所奥村電機[8]

東急対西武

箱根山戦争伊豆戦争東京城西地区、渋谷など何かと張り合った東急西武両陣営だが、ここ軽井沢 - 草津間でも両者の競争が繰り広げられていた。元来軽井沢開発は西武が先行していて、1945年東急が草軽電鉄を傘下に納めたとき既に西武は鬼押ハイウェーを系列会社の手で敷設したうえで軽井沢高原バスを運行し、地域交通を手中に収めていたほか、軽井沢の別荘開発を早くから手がけるなど、軽井沢周辺では西武系の勢力が強まっていった。

しかし、草津温泉においては、西武系は路線バスが乗り入れるのみで自系列の宿泊施設等はなかった(西武系は万座温泉方面から志賀高原方面に力を入れて開発することとなる)。後に東急系列が「草津温泉ホテル東急」[9]を開業させたことを考えると、草津温泉では東急にやや軍配が上がったとも言える。草津温泉ホテルリゾート前の駐車場に隣接して小さな公園があり、公園内には草軽電鉄の草津温泉駅跡の小さな記念碑が建てられている。

モータリーゼーションが進みスピード重視へと世の中が傾斜してゆく中、少ない本数で時間をかけてゆっくり走る小さな電車の草軽電鉄よりも、増発が可能でスピーディーに走り、収容能力に勝る西武バスへ客が流れて行くのはむしろ当然であった。しかし、その頃は草軽も沿線を中心に乗合自動車の営業を開始していた。バスの大型化なども進み、奇しくも草軽電鉄を挟む格好で東急系列の草軽と西武は対峙したのである。

競争に敗れた東急側が不採算の高原電車を廃止し、草軽交通バスで挽回を図ったのもやむを得ない選択であった。

運行状況

  • 1940年7月1日改正当時
    • 旅客列車本数:日7往復(7月1日 - 9月20日は1往復増発、軽井沢 - 北軽井沢間の区間便以外は貨客混合列車が多かった)
    • 所要時間:全線2時間34分 - 3時間2分
  • 1960年度輸送量(一日平均)[10]
    • 旅客287人
    • 貨物0.8トン

歴史

  • 1909年(明治42年)2月23日 前身となる「草津興業[11]」の発起人をはじめとして設立委員会が発足し、軽便軌条敷設特許を内閣総理大臣へ申請。
  • 1910年(明治43年)4月30日 軽便軌条敷設特許。
  • 1912年(大正元年)
    • 8月6日 軌道より軽便鉄道に指定変更[12]
    • 9月17日 草津軽便鉄道(本社東京芝区)[13]に社名変更。
  • 1913年(大正2年)11月25日 起点の新軽井沢において着工。着工式が執行。
  • 1915年(大正4年)7月22日 新軽井沢 - 小瀬(のちの小瀬温泉)間開業[14]
  • 1917年(大正6年)7月19日 小瀬 - 吾妻間開業[15]
  • 1918年(大正7年)
    • 6月1日 精進場川駅を三笠駅に、浅間駅を二度上駅に改称[16]
    • 6月15日 地蔵川駅開業。夏期のみ営業の臨時駅[17]。のちの北軽井沢駅。
  • 1919年(大正8年)
  • 1920年(大正9年)8月11日 国境平駅開業。
  • 1921年(大正10年)10月15日 小代駅開業。
  • 1923年(大正12年)
  • 1924年(大正13年)
    • 2月15日 草津電気鉄道に社名変更。
    • 11月1日 新軽井沢 - 嬬恋間電化。
  • 1926年(大正15年)
    • 8月15日 嬬恋 - 草津前口間開業[21]。これ以降は開業当初から電化。
    • 9月19日 草津前口 - 草津温泉間開業[22]。全線開通。
  • 1927年(昭和2年) 地蔵川駅を北軽井沢に改称[23]
  • 1928年(昭和3年)5月9日 北軽井沢-鬼押出し間、北軽井沢-地蔵川温泉間の乗合自動車運輸営業開始(4月12日自動車業兼営認可)[24][25]
  • 1932年(昭和7年)6月3日 旧道駅開業。
  • 1933年(昭和8年)6月1日 吾妻川電力が合併され東信電気株式会社の傘下となる。
  • 1934年(昭和9年)以前 小瀬駅を小瀬温泉駅に、新嬬恋駅を新鹿沢温泉口駅に、石津平駅を万座温泉口駅に改称[23]
  • 1936年(昭和11年)7月10日 湯沢駅開業。夏期のみ営業の臨時駅[23]
  • 1937年(昭和12年)以前 新鹿沢温泉口駅を上州三原駅に改称[23]
  • 1939年(昭和14年)
    • 日本窒素硫黄株式会社の傘下となる。
    • 4月28日 草軽電気鉄道に社名変更。
  • 1945年(昭和20年)4月1日 東京急行電鉄の傘下入り。
  • 1949年(昭和24年)9月1日 台風のため、沿線各所に多大な被害を受ける。これが引き金となり、経営不振のために、新軽井沢 - 上州三原間の廃止が同年11月の株主総会にて決議。
  • 1950年(昭和25年)
    • 8月4日 台風のため吾妻川橋梁が流失、他の施設も被災し、会社創立以来の被害。
    • 11月13日 運輸審議会公聽会「草軽電鉄株式会社新軽井沢駅、上州三原間鉄道運輸営業廃止について」が運輸省8階講堂にて開かれる[26]
  • 1959年(昭和34年)
    • 8月14日 台風のため、再び吾妻川橋梁が流失。嬬恋 - 上州三原間が不通となり、同区間を代行バス輸送とする。その後、橋梁は復旧されることなく、部分廃止。
    • 10月27日 新軽井沢 - 上州三原間(37.9 km)の鉄道の運輸営業廃止は、許可することが適当である旨、運輸審議会が答申する[27]
  • 1960年(昭和35年)4月25日 新軽井沢 - 上州三原間廃止。
  • 1961年(昭和36年)
    • 8月5日 上州三原 - 草津温泉間の地方鉄道運輸営業廃止の許可につき運輸審議会件名表へ登載される[28]
    • 12月19日 上州三原 - 草津温泉間(17.6 km)の地方鉄道の運輸営業廃止は、許可することが適当である旨、運輸審議会が答申する[10]
  • 1962年(昭和37年)2月1日 上州三原 - 草津温泉間が廃止され全線廃止。

駅一覧

新軽井沢駅 - 旧道駅 - 旧軽井沢駅 - 三笠駅 - 鶴溜駅 - 小瀬温泉駅小瀬駅[29])- 長日向駅 - 国境平駅/こっきょうだいら[30] - 二度上駅 - 栗平駅 - (臨)湯沢駅 - 北軽井沢駅地蔵川駅[31])- 吾妻駅 - 小代駅 - 嬬恋駅 - 上州三原駅 - 東三原駅 - 万座温泉口駅 - 草津前口駅 - 谷所駅 - 鳥の窪駅 - 草津温泉駅

接続路線

※上州三原駅付近で、現在の吾妻線万座・鹿沢口駅付近を通っていたが、吾妻線が万座・鹿沢口駅を経て大前駅まで延伸されたのは、草軽電気鉄道が廃止された後の1971年であり、営業当時は吾妻線との交点はなかった。

輸送・収支実績

年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
191513,9584,5281,3526,036▲ 4,684
191627,527502,08410,516▲ 8,432
191743,5002,02435,54727,0168,53110,31711,4796,44516,439
191841,3364,05127,04844,269▲ 17,22123,348雑損54
建設費償却金836
18,20526,347
191953,5566,26446,88354,289▲ 7,406遊園設備土地賃貸28,23716,45928,502
192049,6086,03372,067107,486▲ 35,419遊園設備土地賃貸43,2358,11717,25543,642
192156,66310,61094,830100,915▲ 6,08534,229
192298,87912,456106,311106,413▲ 10245,393
192368,77414,789122,068141,391▲ 19,32316,9473,75718,82550,523
192480,80925,655207,758244,689▲ 36,93113,42640025,00485,690
192586,58934,801281,639206,44175,19823,676雑損3,60543,35922,057
192683,45830,232242,206194,24247,964雑損2,911電燈20,54984,08672,601
192789,16222,577227,754215,30712,447雑損1,602
電燈土地15,196
137,434132,238
192894,42426,154232,880211,33521,545土地家屋電燈36,765雑損30,447117,84991,128
192994,12521,976228,361190,15738,204雑損7,965
電燈自動車12,257
102,91387,061
193087,29123,765217,574164,03153,543雑損19,106
電燈12,235
88,85463,976
193186,00820,725176,242150,48125,761電燈土地建物自動車3,687雑損580105,55064,417
193283,06319,620198,416150,07648,340土地電燈自動車11,307雑損56,36586,43854,020
1933125,17523,706202,709156,96145,748土地電燈自動車4,706雑損68,92245,57864,901
1934145,33419,962168,528166,9401,588雑損償却金23,577
電燈1,051
40,95565,275
1935153,61628,532203,550173,81129,739雑損償却金48,879
電燈9,626
37,23565,741
1936177,64129,519189,956176,96112,995社債買入差益金26,517
電燈自動車10,510
雑損償却金56,95224,52243,294
1937193,36328,403174,084161,16612,918社債償還差益金13,266
電燈電力差益金307,865
土地自動車1,927
雑損償却金289,459
土地自動車1,433
30,012
1939282,54845,647256,321238,05518,266土地自動車11,084償却金94,75923,00296,947
1945428,48849,070
1952414,38256,83919,686,43320,267,213▲ 580,780
1955492,18253,059
1959311,41425,314
1960115,1421,302
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道統計年報各年度版、『軽井沢町誌 歴史編 近現代』1988年、505頁

車両

1960年の部分廃止時点での在籍車両

電気機関車

デキ12形 (12・13・15-24)
1920年米国ジェフリー社製の電気機関車。信越電力が発電所建設工事用として使用したものを電化の際に譲り受けた。まず1924年11月の電化時に6両が使用され[32]、その後1924年度中に3両を追加している(デキ12-20)[33]。1935年3月にデキ21(1)が[34]、1937年にデキ22(1)が増備され、同時期にデキ21(1)が背の高い凸形車体へ改造されたが番号変更の指示があったため、デキ22(1)→デキ21(2)[35]、デキ21(1)→デキ50へ変更された[36]。1939年3月にデキ22-24を増備している[37][38]。譲受後、屋根のないオープンキャブ(吹きさらし)だった運転台を密閉型へ改装して先輪と従輪及び朝顔型連結器を設置し、集電装置を車体中央の門型の台に設置したトロリーポールから、運転台上に設置した高く張り上げた独特の形状のパンタグラフに交換して、L字型の車体になった[39][40]。さらに、順次電気ブレーキの追加とそれに伴う機械室天板の嵩上げ及び側面全周に渡る通風口の設置、機械室の左右に一段張り出すような形状の安定用の死重を追加といった改造が施されている。そのパンタグラフの形状から「カブトムシ」の愛称で親しまれ、1959年に老朽化により廃車となったデキ14を除き廃線時まで使用された。
凸形車体に改造されたデキ50形 (50) は、1947年に栃尾電鉄(後の越後交通栃尾線)に譲渡された。

電車

モハ100形 (101・102)
1941年日本鉄道自動車製の電車。当初は101-105の5両が製造されたが、105は1947年に、103・104は1950年にそれぞれ栃尾電鉄に譲渡された。残った101・102も部分廃止の際に栃尾電鉄に譲渡された。

客車

ホハ10形 (10-12)
東武伊香保軌道線で使用されていた木造電動車を譲り受けたもので、1956年に2軸車からボギー車に改造された。部分廃止の際に廃車となった。
ホハ15形 (15)
1913年日本車輌製の木造ボギー車。鉄道省から譲り受けたもので、鉄道省時代は湧別軽便線で使用されていた。譲受当初は15 - 18の4両を譲り受けたが、16は1946年に事故廃車となり、17・18は1947年に栃尾電鉄に譲渡された。
ホハ21形 (21・22)
1922年日本車輌製の木造ボギー車。西尾鉄道のホハ12・13を譲り受けたもの。部分廃止の際に廃車となった。
ホハ23形 (23)
1932年日本車輌製の半鋼製ボギー車で、自社発注車である。車内は通路を挟んで一方がボックスシート、他方がロングシートとなっていた。後に栃尾電鉄に譲渡され、客車ホハ26→電車の付随車サハ305→客車ホハ50と変遷している。
ホハ30形 (30-33)
1933年から1937年にかけて日本車輌で製造された半鋼製ボギー車で、自社発注車。車内の座席配置はホハ23と同じであった。後に4両中3両が静岡鉄道駿遠線に移籍、大改修を受けてハ113 - 115となった。

このほか、廃止以前には夏季に運用される展望客車「サマーオープンカー」として以下の車両が存在していた[41][42][43]。1930年代後半から1940年代前半にかけて導入された物で、またこれらは愛称の「しらかば」「あさま」が形式称号とされている。これらの車両には和服姿の女性アテンダントが乗務し、飲み物などのサービスを行っていたという。いずれも1946年まで使用され、廃車後はあさま2号の車体が国境平駅の待合室に転用されている。

しらかば1号
1922年日本車両製の長物ボギー貨車チト50形チト62からの改造。いわゆるトロッコ客車で屋根は三角形をしており岐阜提灯が飾られ、避暑客に人気の納涼客車だった。一方の車端に乗降用のデッキを備え、屋根の縁には波模様のキャンバス生地の装飾が施されたが、後に全面ガラス張りの窓がつけられるよう改造され、同時にデッキの乗降口にも扉が設置された。車体色は初期は茶色、後に白色となっており、またこの車体色変更に際して車体外側にシラカバの枝が装飾としてあしらわれ、側面に「しらかば」の愛称板がつけられた。
あさま1号・2号
1917年に吾妻までの延長開業に際して製作された、天野工場製のボギー客車ホロハ1形からの改造。緩くカーブした屋根と車体中央に乗降口を持ち、雨天時にも運行できるよう全面ガラス張りの窓がつけられる本格的な展望客車である。幕板部分には赤・緑・黄・青の色ガラスが使用され、腰板部分は乗降口を境に片側半分には幕板部分と同色の色ガラスで横桟の入った細長い窓が設置され、もう片側半分には浅間山の風景画が描かれた。さらに乗降口や車体内外の四隅はシラカバの丸太で装飾され、妻面には「あさま」の愛称板がつけられていた[44]

貨車

有蓋車
  • 以下は全て7t積みボギー緩急車である。
    コワフ30形 (31)
    1923年日本車輌製。当初は30-42まで製造された。
    コワフ100形 (101-104・106・107・110・113・114)
    1942年日本鉄道自動車製。当初は100-114が製造されたが、うち6両は1957年に無蓋車ホト110形に改造された。
無蓋車
  • 4t積み2軸車
    ト1形 (2)
    1915年天野工場製。客車を改造したもので、当初は1-3の3両が存在した。
    ト20形 (20・21)
    1915年天野工場製。
    ト22形 (22-27)
    1925年日本車輌製。27は有蓋車ワフ7の改造車。
    ト28形 (28-30)
    1924年日本車輌製。有蓋車ワフ6・9・10の改造車。
  • 7t積みボギー車
    チト58形 (58-60)
    1922年雨宮製作所製。
  • 7t積みボギー緩急車
    ホト100形 (100-109)
    1942年日本鉄道自動車製。
    ホト110形 (110-115)
    1942年日本鉄道自動車製。コワフ100形からの改造車。

車両数の推移

年度機関車電車客車貨車
蒸気電気 有蓋無蓋
1915-19162422
1917-191947212
1920-1921511212
1922611220
19239112020
192499112020
192599112827
192689132825
1927894102725
192879142725
192969142725
1930-193169172725
193269182725
193329142625
193419152625
193510112230
193610112229
193711112130
1946145113613
195013483438
1955132102632
1959122101028
196032428
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版、高井薫平『軽便追想』ネコパブリッシング、1997年、212頁

廃線後の状況

草軽交通・西武高原バスの「旧軽井沢」バス停から北に伸びる「三笠通り」(草軽交通の「一本松」バス停から「三笠パーク入口」までの区間)は、上下線で不自然に段差が有るが、これは草軽電気鉄道の線路が通っていた名残である。また廃線跡には、鉄橋の橋脚、北軽井沢駅舎などが遺構として残っている。

北軽井沢駅舎は2006年9月15日に国の登録有形文化財に登録するよう答申され、2006年11月29日に「旧草軽電鉄北軽井沢駅駅舎」として文化庁より登録有形文化財として登録された[45](認定番号第10-0210号)。

また、多くの区間は道路などとなっているが、廃線後長い時間を経て、自然に還ってしまった区間も少なくない。

保存車両

デキ13(デキ12形13号)
(旧)軽井沢駅舎記念館
記念館は2017年3月末を以て閉館し[46]、展示資料は一部を除き旧軽井沢の軽井沢観光会館(軽井沢町軽井沢739番地2)の2階展示スペースへ移設された[47]が、野外展示のデキ12形13号は、軽井沢駅前北口の同じ場所に継続展示されている[48]
コワフ104
旧草軽電鉄車庫跡(草軽交通本社整備工場敷地内)

このほかに、新潟県長岡市にモハ105が置かれていたが、2002年に解体された。

また、保存車両ではないが、旧北軽井沢駅(登録有形文化財「旧草軽電鉄北軽井沢駅駅舎」 - 登録番号「第10-0210号」)には、丸太主体で作られたデキ12形(付番は「13」)の模型が展示されている。実寸よりやや大きい。

映画

草軽電気鉄道が登場する映画はいくつかあるが、カラー映画としては1951年(昭和26年)に公開された『カルメン故郷に帰る』(松竹大船)がある。この映画には列車などの登場場面が多い[29]。主人公のカルメン(高峰秀子)が列車から降り立つ駅は北軽井沢駅である。

その他の作品

脚注

  1. 「私鉄要覧(1) 運輸省鉄道監督局監修 昭和32年度」『鉄道史料』第93巻、鉄道史資料保存会、1999年2月、72頁。
  2. 「私鉄要覧(1) 運輸省鉄道監督局監修 昭和32年度」『鉄道史料』第93巻、鉄道史資料保存会、1999年2月、59頁。
  3. なお、草軽交通は2009年9月30日をもって東急グループから離脱した。
  4. 1932年度総株数4万株うち約14千株『株式社債年鑑. 昭和7年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. 『時事新報』掲載の1924年3月24日付記事「草津電気鉄道株式会社新株式募集」(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
  6. (備考)利率7.5分→3分『株式社債年鑑. 昭和11年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. 1935年12月11日開通吾妻本線(渋川-真田間)(79Km)、上州草津線(上州大津-上州草津間)(15km)(『鉄道統計資料. 昭和10年度』地図『鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在』)昭和15年10月号の時間表によれば渋川-上州草津間58km、所要時間3時間、運賃1円13銭に対して草軽電鉄は55.5km、2時間半から3時間で1円50銭であるが往復割引2円50銭
  8. 『管内電気事業要覧. 第11回』1934年(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. 草軽直営だったが現在は営業から手を引いて「草津温泉ホテルリゾート」となった
  10. 1962年(昭和37年)2月22日運輸省告示第46号「運輸審議会の答申(帝都高速度交通営団の地方鉄道敷設免許申請について等)があつた件」運審第182号「草軽電気鉄道株式会社の上州三原・草津温泉間地方鉄道運輸営業廃止許可申請について」
  11. 事業目的は「製紙及び製紙原料の製造。軽便軌条の敷設、旅客貨物の運輸」群馬県史 資料編24、908頁
  12. 『時事新報』掲載の1912年8月10日付記事「軽鉄の指定と免許 - 草津興業と上越軽鉄」(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
  13. 『日本全国諸会社役員録. 第21回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年8月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1917年7月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1918年6月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1918年6月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. 「地方鉄道臨時停留場ヲ常設停留場ニ変更」『官報』1919年10月03日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1919年11月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. 「地方鉄道停車場名称変更」『官報』1923年7月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年8月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年9月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越』新潮社、2008年、p.40
  24. 『草軽電鉄の詩』178頁
  25. 1934年時点北軽井沢草津温泉駅『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  26. 「運輸省審議会公聴会開催公告」『官報』1950年11月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  27. 同年11月26日運輸省告示第527号「運輸審議会の答申(筑豊電気鉄道株式会社延長線開通に伴う旅客運賃制度の認可申請について等)があつた件」運審第120号「草軽電気鉄道株式会社新軽井沢、上州三原間鉄道運輸営業廃止許可申請について」
  28. 同日運輸省告示第259号「運輸審議会件名表に登載された事案の件」
  29. 青木、三宅『軽便鉄道』p.101
  30. 青木、三宅『軽便鉄道』p. 103
  31. 青木、三宅『軽便鉄道』p. 100
  32. No.31「電車運転開始ノ件」『草軽電気鉄道(元草津軽便鉄道)(四)・自大正九年至大正十四年』282頁
  33. No.33「電気機関車増加ノ件」『草軽電気鉄道(元草津鉄道)・自大正九年至大正十五年』315頁
  34. No.32「車輛竣功ノ件」『草軽電気鉄道(元草津軽便鉄道)(七)・自昭和八年至昭和十一年』160頁
  35. No.9「車輛竣功ノ件」『草軽電気鉄道(元草津鉄道)(八)・自昭和十二年至昭和十四年』54頁
  36. No.10「車輛記号番号形式称号等変更ノ件」『草軽電気鉄道(元草津鉄道)(八)・自昭和十二年至昭和十四年』64頁
  37. No.62「電気機関車増加ノ件」『草軽電気鉄道(元草津鉄道)(八)・自昭和十二年至昭和十四年』377頁
  38. 白土貞夫「草軽電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』No.880、124-125頁
  39. 火山山麓のレモンイエロー : 草軽電鉄の記憶 : クロベのJEFFREY(その2)
  40. 火山山麓のレモンイエロー : 草軽電鉄の記憶 : デキ 原型(タイプ)を作る 2
  41. 高松吉太郎「高原の夏 上田・軽井沢紀行」『レイル』1979年9月号 pp. 7-13
  42. 宮松「くさかるでんてつ」『鉄道ファン』〈特集:軽便礼讃〉1962年4月号(通巻10号)pp. 10-16
  43. やまだくんのせかい: 草軽電気鉄道(1)
  44. 火山山麓のレモンイエロー : 草軽電鉄の記憶 : デキ50の写真
  45. 同年12月19日文部科学省告示第147号「文化財を登録有形文化財に登録する件」
  46. (旧)軽井沢駅舎記念館 - 長野県軽井沢町公式ホームページ、2020年8月13日閲覧
  47. 軽井沢鉄道ミニ博物館 軽井沢町公式ホームページ内。2023年6月25日閲覧。なおリンク先に記載の観光会館ホームページへのリンクはリンク切れ。
  48. 2020年8月13日、Google Earth ストリートビュー(2019年7月取得画像)にて確認。

参考文献

  • 青木栄一三宅俊彦『軽便鉄道 - 昭和戦後を生きた小さな旅客鉄道回想』大正出版、2004年5月5日。ISBN 978-4811706528。
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 6 北信越、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790024-1。
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 3 関東1、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790021-0。
  • 小川功『企業破綻と金融破綻』九州大学出版会、2002年、479-481頁。
  • 思い出のアルバム草軽電鉄刊行会編『草軽電鉄の詩』郷土出版社、1995年。
  • 宮松丈夫「くさかるでんてつ」『鉄道ファン』通巻10号〈特集:軽便礼讃〉、交友社、1962年4月。
  • 『草軽電気鉄道(元草津鉄道)・自大正九年至大正十五年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
  • 『草軽電気鉄道(元草津軽便鉄道)(七)・自昭和八年至昭和十一年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
  • 『草軽電気鉄道(元草津鉄道)(八)・自昭和十二年至昭和十四年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)

関連項目

外部リンク

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