草津 (広島市)
草津(くさつ)とは、広島県広島市西区の地名である。町名は、草津本町・草津東・草津南・草津梅が台・草津港・草津新町・草津浜町である。西国街道が貫き、かつては宿場町であった[♠ 1]。由緒ある寺院の存在が、1000年を超える歴史を感じさせてくれる[♠ 1]。一方で、草津新町および草津港は商工センター周囲の埋立地であり、比較的新しい地区である[1]。間に商工センターと扇があるため、草津港のみ飛び地となっている。当地域の人口は11,875人、世帯数は5470世帯[♠ 2]。
草津 | |
|---|---|
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草津本町・草津東・草津南・ 草津梅が台・草津港・草津新町・草津浜町 | |
![]() 草津 | |
| 北緯34度22分52.93秒 東経132度24分13.31秒 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 区 | 西区 |
| 人口 平成26年2月末現在 | |
| • 合計 | 11,875人 |
| 等時帯 | UTC+9 (JST) |
| 郵便番号 |
733-0832・733-0834・733-0861・733-0862・733-0863・733-0864・733-0865 |
| 市外局番 | 082 |
| ナンバープレート | 広島 |
| ※座標は草津駅付近 | |
地理
歴史

広島の新開地発展図(『概観広島市史』1955年) / 藩政期における新開地の造成が示されている。

1945年米軍作成の広島市地図。埋立前の"KUSATSUMACHI"(誤表記)が見える。
地名の由来
古来、軍港であった時期には、軍津(いくさつ)と呼ばれており、そのことから草津と呼ばれるようになった[♠ 1]。
沿革
広島市民から見て草津は「漁師町」と考えられており、その港は古くは白村江の戦いのときに使われたといわれている(現在は港が埋め立てられた為それを見ることが出来ない)。また水運、軍事的にも活用され、毛利元就の厳島の戦いの前哨戦の舞台となった。その後、江戸時代になると軍港としての役割は終わったが、浜田藩の船屋敷が設置されるなど港町として繁栄を続け、西国街道の間宿(あいのしゅく)としても栄えた[♠ 1]。カキの養殖も盛んで、大坂にかき船を出すなどしていた[♠ 1]。また、三次藩が存在していた時期には、草津は三次藩領の飛び地であった[♠ 3]
明治期以降は、新たに埋め立て造成された隣接の庚午とともに佐伯郡草津町(発足当時は草津村)の一部であったが、1929年(昭和4年)、近隣6町村とともに広島市に編入され現在に至っている。古来干潟と入江に富んでいた草津の海岸線は1971年以降の「西部開発事業」の一環としての埋め立てにより一変し、漁港はかなり沖合に移転している。
施設
宗教施設
- 西楽寺
- 教専寺
- 浄教寺
教育施設
- 市立草津小学校
- 市立草津保育園
- 市立みゆき保育園
- 至徳ルンビニー幼稚園
- 中小企業大学校広島校
医療施設
- 草津病院
主な公共施設
脚注
- この地域の1974年度の航空写真より埋め立て地であることが確認できる
- 正確には隣接する田方に所在する。
- かつては草津地区の海岸近くにあったが現在は田方に所在する。
- 正確には庚午南に所在する。
出典
- 広島市. “草津まち歴史の散歩道”. 2014年4月9日閲覧。
- 2014年2月末現在、住民基本台帳調査による。“広島市調べ。”. 2014年4月9日閲覧。
- 近世末から近代における広島かき船営業の地域的展開 p.62 片上広子 2018年7月24日閲覧。
関連項目
外部リンク
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