葦原王
生涯
天平宝字5年(761年)御使麻呂と賭博・飲酒中に、俄に怒りを発し麻呂を刺殺した。そして、その胸を俎にして股肉を膾に切り刻み食してしまった。ほかにも余罪があったが皇族のため、淳仁天皇により死罪を免れ、龍田真人の賜姓を受け臣籍降下の上、子女6人とともに種子島に配流された[1][2]。
人物
生まれつき凶悪な性格で、好んで酒を飲ませる店で遊んだという[1]。
参考文献
関連項目
- 長野女王…同じく、殺人の罪で配流された皇族。
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