藤田俊哉

藤田 俊哉(ふじた としや、1971年10月4日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元日本代表。元日本プロサッカー選手会会長[1]

藤田 俊哉
名前
愛称 トシヤ
カタカナ フジタ トシヤ
ラテン文字 FUJITA Toshiya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1971-10-04) 1971年10月4日(52歳)
出身地 静岡県静岡市清水区
身長 174cm
体重 64kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-2005 日本の旗ジュビロ磐田 336 (94)
2003 オランダの旗ユトレヒト (Loan) 14 (1)
2005-2008 日本の旗名古屋グランパス 83 (6)
2009-2010 日本の旗ロアッソ熊本 75 (6)
2011 日本の旗ジェフユナイテッド千葉 4 (0)
通算 512 (107)
代表歴2
1995-2005 日本の旗 日本 24 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月26日現在。
2. 2005年1月29日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

10年に渡り日本代表にも選出。2001年にJリーグ最優秀選手賞を受賞[2]

来歴

プロ入り前

清水商業高校では、2年時に高校選手権優勝を経験。筑波大学に入学した。

ジュビロ磐田

1994年、この年にJリーグへ昇格するジュビロ磐田に入団、5月18日、静岡ダービー、清水エスパルス戦で決めたゴールが[3] Jリーグ初ゴールとなった[4]。1年目からレギュラーを獲得し、中山雅史名波浩らとともに、ステージ優勝6回、年間優勝3回、そしてアジアクラブ選手権優勝1回という磐田黄金時代を作り上げ、1998年には自己ベストの17ゴールを決めた[4]。自身もJリーグベストイレブンに3度選出された。2000年5月3日の対川崎フロンターレ戦で初のハットトリックを達成[5]。このハットトリックはペナルティーキック(PK)を3本決めたもので、PKのみのハットトリックはJリーグでも史上初の記録であった。2001年にはJリーグMVPも受賞するなど活躍を続けた。2002年7月13日浦和レッズ戦(埼玉スタジアム2002)でVゴールを決め勝利[6]、通算9回のVゴール記録となり、J通算Vゴール数で浦和レッズの福田正博と並び歴代最多タイとなった。(リーグでの延長戦はこの年を最後に廃止された。)

一方で日本代表においては、ファルカン加茂周トルシエジーコと歴代の監督により招集されたが、いずれの監督下でも先発で起用されることもあったが、完全なレギュラーではなくサブとしての登用であった。

ユトレヒト

海外クラブに所属する選手を重用する傾向があったジーコ監督時代の2003年には、代表定着を狙うためにオランダFCユトレヒトに半年間の期限付き移籍。この時期は積極的に代表に呼ばれたが、レギュラー定着はできなかった。ユトレヒトでは好プレーを披露し、シーズン終了後には移籍期間延長の打診もあり、藤田自身もオランダでのプレーの続行を望んだが、ユトレヒトには完全移籍に移行する際の移籍金を支払う資金力が無く、加えて成績が下降傾向だった磐田からは移籍期限終了に伴う磐田への復帰を強く要請されたため、日本へ復帰した。

ジュビロ磐田への復帰

磐田に復帰したものの、2004年末より監督に就任した山本昌邦の方針で出場機会が激減。代表復帰を目指していたことから出場機会を求め、2005年6月名古屋グランパスエイトに完全移籍した。

名古屋グランパス

名古屋では主にボランチとして出場し、足掛け4年にわたりチームの精神的支柱として活躍した。2007年6月9日の対川崎フロンターレ戦(豊田スタジアム)の前半1分にPKによる得点を挙げ[7]、中山雅史に次いで史上2人目となるJ1のリーグ戦で14年連続ゴールという記録を達成、6月30日の対ヴァンフォーレ甲府戦(瑞穂陸上競技場)で史上初のJリーグ出場通算400試合を達成、8月25日の対大宮アルディージャ戦でゴールを決め[8]、Jリーグ史上4人目、FW登録以外の選手としては史上初のJリーグ通算100得点を達成。2008年は出場機会が減少。高年俸もネックとなりシーズン終了後に戦力外通告を受ける。

J2でのプレー

J1クラブも含めて複数のオファーの中から、最も熱心に誘われたJ2・ロアッソ熊本に移籍した。これはロアッソ熊本のスポンサーであった藤田株式会社の藤田勲社長が同じ藤田姓の縁で強く獲得を希望してのものだった。その際、藤田の獲得資金としてスポンサー料を倍額にしている[9]

2009年シーズンは、51試合中50試合に出場、スタメンでの起用が多く4得点を挙げた。2010年は途中出場中心ながら20試合以上に出場し、2得点を挙げていたが、11月22日、藤田の意向により家庭の事情を理由[10] にロアッソ熊本を退団する事が発表された[11]。なお、2010年度中に日本サッカー協会指導者ライセンスA級ジェネラルを取得している[12]

2011年シーズンより、ジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍するも[13]、同年限りで退団した[14]

2012年1月12日の平成23年度日本サッカー協会(JFA)第9回理事会で、公認S級コーチ・ライセンス養成講習会受講者20名に認定された[15]

2012年6月27日、自身の公式サイトから現役引退を表明した[16]。J1では通算419試合100ゴールの成績を残した[4]。7月3日に引退会見を行い、「幸せなサッカー人生を送らせてもらったが、引退することを決めました。最後はいくつかのクラブからオファーをいただき悩みましたが、欧州クラブで監督をしたい気持ちがあった」などと語った。

日本プロサッカー選手会

2007年5月Jリーグ選手協会、現:日本プロサッカー選手会4代目会長に就任する[1]。当時の藤田は日本代表歴、Jリーグ最優秀選手受賞歴、海外リーグ(FCユトレヒト)での経験を持ち合わせた数少ない現役選手であり、その経験を活かし日本サッカー界に対して様々な改革をおこなった。まず、本田圭佑吉田麻也の代理人であったFIFA国際サッカー連盟公式選手代理人清岡哲朗を同協会の執行役員に指名する。2009年には日本プロサッカーリーグ移籍金制度を撤廃する[17]。当時Jリーグクラブ所属の選手達は新規クラブとの契約金もなく、契約を満了し新たなクラブへ移籍する場合でも多額の移籍金が発生し、それが弊害となり多くの選手が引退に追い込まれていた。また2010年10月にはJリーグ選手協会を日本プロサッカー選手会に名称・組織変更をおこない、新たに「Jリーグ経験者で、海外クラブでプレーする日本国籍選手」も加入対象とした。加えて日本代表委員会を設置し、日本代表選手の肖像権・待遇面・日本代表関連収益を財源とした退職金制度設立を日本サッカー協会と議論していくと発表した[18][19]。 この流れから日本サッカー協会及び日本プロサッカーリーグと合法的な交渉をおこなうため日本プロサッカー選手会は労働組合化に向けた準備を進め[20]2011年には労働組合日本プロサッカー選手会を設立した[21]。このような経歴から藤田は頭脳においてもサッカー界のエリート中のエリートとの評価が高い[22]

引退後

2012年8月からJFAの公認S級コーチ・ライセンス養成講習会に参加後、オランダVVVフェンロ間で単年のコーチ契約を結び、2014年の夏から現地に於いて指導者としての道の第一歩を歩み始める。また、将来的には日本に戻って日本代表の監督などもやりたいとも話した[23]。ジュビロ磐田アンバサダーに就任。

2013年5月23日に国立競技場で「藤田俊哉送別試合」が行われた。ジュビロ磐田で共にプレーしたメンバー中心のジュビロスターズと日本代表経験者中心のジャパンブルーの2チームで戦われ、藤田は前半後半それぞれ別のチームでプレーし2得点を挙げた[24]

2013年7月、JFA 公認S級コーチに認定される[25]。なお、JFA S級ライセンスとUEFAプロライセンスに互換性がないとされ、オランダではヘッドコーチの就任に留まった。

当初は8月からオランダへ渡欧し、VVVフェンロのコーチに就任する予定だったが、オランダの就労ビザ取得条件が厳しく、ビザ申請が保留されてしまい叶わなかった。それでもVVVフェンロとオランダサッカー協会の協力を経て、2014年1月に就任する可能性が高まった[26]

2014年から、VVVフェンロのコーチ就任。2017年4月21日、コーチに就任してから初のオランダ2部のエールステ・ディヴィジで優勝を果たした。

2017年7月、リーズ・ユナイテッドAFCではコーチではなく、フロントに入った[27]。その後、リーズとの契約が切れ[28]、2018年9月に日本サッカー協会(JFA)技術委員会の新ポスト、欧州駐在強化部員に就任した[29][30][31]

2022年9月13日、ジュビロ磐田のスポーツダイレクターに就任した[32]

評価

筑波大学、ジュビロ磐田での先輩にあたる長澤徹は「サッカーがうまくなりたいという純粋な気持ちを持ち続け、誰にもできないスタイルを身に付けた。日本人が目指すべき模範だと思います」と賛辞を贈っている[33]。   

交友関係

ジュビロ磐田の監督である横内昭展とは、オランダのチームで強化部に在籍していた頃、当時森保ジャパンのコーチとして横内がオランダへ視察にきたときに、5,6時間のドライブをした仲[34]

その他

愛車は2001年Jリーグ最優秀選手副賞の賞品であったサーブ・9-3[35]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1994磐田-J3874010437
19954911-115012
199625414110405
19971024960433412
1998331764304221
1999J12944130365
200030841313710
2001261170213512
2002301072304012
200313660-196
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2003-04ユトレヒト16エールディヴィジ141--141
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004磐田10J12970051348
200510000-100
名古屋2220020242
20062424020302
20072921020322
2008804110131
2009熊本28J2504-10514
2010252-00252
2011千葉40-1050
通算日本J1 4191006710337519115
日本J2 796-20816
オランダエールディヴィジ 141--141
総通算 5121076710357614122

その他の公式戦

  • 1997年
  • 1998年
  • 1999年
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
  • 2000年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2001年
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
  • 2003年
    • スーパーカップ 1試合1得点
  • 2004年
    • スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2004磐田1040
200541
UEFAUEFA EL
2003-04ユトレヒト1630
通算AFC 81
通算UEFA 30

その他の国際公式戦

その他

個人タイトル

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 24試合 3得点(1995年 - 2005年)
日本代表国際Aマッチ
出場得点
199562
199600
199700
199800
199940
200000
200100
200200
200330
2004101
200510
通算 243

ゴール

#開催年月日開催地対戦国勝敗試合概要
1.1995年2月23日中華人民共和国中華人民共和国の旗 中国○2-1親善試合
2.1995年6月10日イングランドスウェーデンの旗 スウェーデン△2-2親善試合
3.2004年3月31日シンガポールシンガポールの旗 シンガポール○2-12006 FIFAワールドカップ・アジア予選

指導歴

  • 2014年 - 2017年 オランダの旗 VVVフェンロ コーチ
  • 2017年 - 2018年 イングランドの旗 リーズ・ユナイテッドAFC 強化部
  • 2018年9月 日本サッカー協会 技術委員会 欧州駐在強化部員
  • 2022年- 日本の旗ジュビロ磐田 トップチームマネージメント部 スポーツダイレクター

脚注

  1. https://www.j-pfa.or.jp/about/history/ 日本プロサッカー選手会歴史
  2. Jリーグ、藤田俊哉氏と田中誠氏に功労選手賞”. サッカーキング. 2021年6月12日閲覧。
  3. 94Jリーグサントリーシリーズ 第17節”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  4. 藤田 俊哉”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  5. ジュビロ磐田 ハットトリック一覧”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  6. 2002Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第8節”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  7. 2007Jリーグ ディビジョン1 第14節”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  8. 2007Jリーグ ディビジョン1 第22節”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  9. http://supportista.jp/2009/02/news17052850.html
  10. 藤田が熊本退団…オファーなければ引退も - スポーツニッポン2010年11月23日閲覧
  11. 藤田、退団へ 2季在籍 現役は続行の意向 - 熊本日日新聞2010年11月23日閲覧
  12. 藤田 俊哉選手の加入について - ジェフユナイテッド市原・千葉 公式ウェブサイト 2017年07月28日閲覧
  13. 契約満了選手について - ジェフユナイテッド市原・千葉 公式ウェブサイト 2017年07月28日閲覧
  14. 2012年度 平成23年度 第9回理事会 協議事項 (2012.01.12) 公認S級コーチ養成講習会 受講者の件-JFA公式HP2012年1月12日
  15. 現役引退と新しい挑戦への決断! 2012年6月27日 藤田俊哉オフィシャルサイト
  16. Jリーグ 契約満了選手の移籍金撤廃で合意 - スポニチ、2009年4月14日
  17. J選手協会が名称変更、待遇改善も要求 - 日刊スポーツ、2010年10月4日
  18. Jリーグ選手会 海外選手にも資格 - スポニチ、2010年10月5日
  19. 日本プロサッカー選手会が労組化へ - 日刊スポーツ、2011年3月9日
  20. 日本プロサッカー選手会 労働組合移行が完了 - スポニチ、2011年10月12日
  21. https://newspicks.com/news/1392040/body/ 藤田俊哉、安住しないエリート「日本が世界一なら満足した」- NEWS PICKS、2016年2月11日]
  22. 元代表藤田「幸せなサッカー人生だった 2012年7月3日 日刊スポーツ
  23. 藤田俊哉が自身の送別試合で2ゴール…カズ、ゴン、ヒデらが出場”. www.soccer-king.jp. 2020年4月16日閲覧。
  24. http://www.sanspo.com/soccer/news/20130711/jle13071118010014-n1.html
  25. 藤田俊哉氏、VVVコーチ就任来年に延期も 就労ビザ取得難航 2013年10月3日付 スポーツ報知
  26. オランダからイギリスへ。藤田俊哉がリーズのフロントに転職した理由|海外サッカー|集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva”. 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva. 2020年2月11日閲覧。
  27. 元日本代表の藤田俊哉氏、欧州駐在強化部員に就任 - 日本代表 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年2月11日閲覧。
  28. 日本代表「欧州駐在強化部員」藤田俊哉氏に訊く――南米選手権のメンバーは五輪代表の強化を視野に入れてもいい | サッカーダイジェ”. www.soccerdigestweb.com. 2020年2月11日閲覧。
  29. 新戦力発掘へ!強化部会部員に藤田俊哉氏が就任、元代表MF”. football-station.net. 2020年2月11日閲覧。
  30. ワイドインタビュー問答有用:欧州で代表を支える=藤田俊哉・日本サッカー協会強化部会員/772”. 週刊エコノミスト Online. 2020年2月11日閲覧。
  31. フットボール本部 新体制について”. www.jubilo-iwata.co.jp. 2022年10月29日閲覧。
  32. 小宮良之『アンチ・ドロップアウト 簡単に死なない男たちの物語』集英社、2010年、169頁
  33. 2023新体制発表記者会見”. www.jubilo-iwata.co.jp. 2023年1月10日閲覧。

関連項目

外部リンク


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