蟹ケ谷
蟹ケ谷(かにがや)は、神奈川県川崎市高津区の大字[5]。住居表示は未実施である[6]。面積は42.4 haである[2]。
| 蟹ケ谷 | |
|---|---|
| 大字 | |
| 北緯35度33分51秒 東経139度37分53秒 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 行政区 | 高津区 |
| 地区 | 橘出張所 |
| 人口情報(2024年(令和6年)3月31日現在[1]) | |
| 人口 | 8,282 人 |
| 世帯数 | 3,776 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.423650702 km² | |
| 人口密度 | 19549.12 人/km² |
| 設置日 | 1937年(昭和12年) |
| 郵便番号 | 213-0025[3] |
| 市外局番 | 044(川崎MA)[4] |
| ナンバープレート | 川崎 |
地理
高津区の南東端[7]、下末吉台地の北東部に位置する[5]。北端を矢上川が流れ、丘陵地に谷戸が刻み込まれた地形となっている[8]。一帯は宅地化がなされている[9]。西端にも近い蟹ヶ谷槍ケ崎公園付近で最も標高が高く、神奈川県道106号子母口綱島線が南北に通っている(高津区子母口と下田町・高田町・綱島とを繋ぐ)。
歴史
中世以前
当地の東端に隣接する井田からは神庭遺跡、井田伊勢台遺跡など縄文時代から古墳時代にかけての遺跡が多数発見されており[8]、また蟹ケ谷でも市内で唯一前方後円墳が発見されている(蟹ヶ谷古墳群)[12]。
中世には、当地の東端と井田との境界付近を鎌倉道下道が南北に通り、源頼朝が鞍をかけたと伝わる松がある[9]。専念寺の敷地には安元年間に伊東祐清の子息である祐高が蟄居したと伝わっている[13]。
江戸時代
江戸時代はじめ、当地は旗本の小幡氏領であったが、1697年(元禄10年)に天領となった[8]。石高は、正保期の『武蔵田園簿』で46石あまり、『元禄郷帳』で61石あまり、『天保郷帳』や幕末の『旧高旧領取調帳』では66石あまりであった[5]。低地や谷戸には水田が広がり、台地上には畑が作られていた[9]。
明治以降
明治維新以降当地は神奈川県に属し、行政上は蟹ケ谷村→橘村→川崎市というように推移していった[14]。また子母口と当地とを繋ぐ新道が作られた(現在の神奈川県道106号子母口綱島線の前身)。昭和に入ると、帝国海軍が通信隊を設置し、戦時中には地下壕も設けられた[15]。
戦後しばらくは農村であり続けたが、1960年(昭和35年)以降宅地化が進行していった[9]。なお、旧海軍の建てた鉄塔のうち1基は航空無線の施設に転用され、戦後も長く使われた[5]。
1989年には集中豪雨による土砂崩れが起こり、住民と消防隊員の6名が死亡する惨事となった[16]。
地名の由来
いくつかの説がある[8]。
沿革
- 1697年(元禄10年)- 天領となる。
- 1868年(明治元年)- 明治維新。当地は神奈川県所属となる。
- 1874年(明治7年)- 大区小区制の施行により、当地は第4大区第8小区に属する[14]。
- 1889年(明治22年)- 町村制の施行により、橘村が成立。蟹ケ谷はその大字となる。
- 明治末期 - 八太権現社が橘樹神社へ合祀される[13]。
- 1930年(昭和5年)- 帝国海軍東京通信隊が設置される[15]。
- 1937年(昭和12年)- 橘村が川崎市に編入され、川崎市蟹ケ谷となる。
- 1938年(昭和13年)- 耕地整理により、子母口や明津と一部で境界を変更[17]。
- 1943年(昭和18年)- 東京通信隊が地下壕を設ける[15]。
- 1945年(昭和20年)- 東京通信隊の跡地に慶應義塾獣医畜産専門学校が移転(2年後に志木町へ転出、のちの慶應義塾志木高等学校)。
- 1958年(昭和32年)ごろ - 八太神社が分祀、再建される[13]。
- 1960年(昭和35年)- 市営蟹ケ谷住宅が作られる[5]。
- 1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市へ移行。川崎市高津区蟹ケ谷となる。
- 1996年(平成8年)- 中原区井田の住居表示施行に伴い、井田の一部を蟹ケ谷へ編入[18]。
世帯数と人口
2024年(令和6年)3月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 大字 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 蟹ケ谷 | 3,776世帯 | 8,282人 |
交通
路線バス
川崎市交通局が当地と武蔵新城駅・武蔵小杉駅・元住吉駅などとを結ぶバスを運行している。東急バスが武蔵新城駅と綱島駅、高田駅とを結ぶバス、当地と溝の口駅を結ぶバスを運行している。いずれも蟹ヶ谷バス停(蟹ヶ谷槍ケ崎公園の前)を発着する。
東急バスがさくらが丘Issac日吉(蟹ヶ谷バス停からは東へ500m)と日吉駅とを結ぶ小型バスを運行している。
道路
神奈川県道106号子母口綱島線が当地を通過している。また、それにほぼ並行して宮内新横浜線の計画がある。
施設
- 専念寺(浄土真宗東本願寺派)
- 八太神社
その他
脚注
- “令和6年町丁別世帯数・人口 3月末日現在” (XLS). 川崎市 (2024年4月25日). 2024年4月26日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC BY 2.1 JP DEED)
- “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)の数値」令和2年国勢調査)” (XLS). 川崎市 (2024年1月25日). 2024年3月20日閲覧。 “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”
- “蟹ケ谷の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
- “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.259。
- “区別町名一覧表(高津区)”. 川崎市 (2022年1月28日). 2022年7月24日閲覧。
- 『川崎の町名』、p.173。
- 『川崎地名辞典(上)』、p.400。
- 『川崎の町名』、p.174。
- 『川崎地名辞典(上)』、pp.401-402。
- “不動産情報ライブラリ 国土交通省地価公示(標準地) 川崎高津-1”. 国土交通省. 2024年4月7日閲覧。
- 「蟹ヶ谷で前方後円墳発見」『タウンニュース 高津区版』(タウンニュース社)、2012年4月13日。2012年10月8日閲覧。
- 『川崎地名辞典(上)』、p.403。
- 『川崎地名辞典(上)』、p.401。
- “100.海軍地下壕跡”. 川崎市 (2012年9月15日). 2012年10月18日閲覧。
- 殉職もう出すまい 高津崖崩れ30年、川崎消防思い新た 神奈川新聞 2019年08月06日
- 「大字及字区域変更」(昭和13年5月31日神奈川県公報pp.37-62)
- 住居表示新旧対照案内図 No.67 中原区井田1, 2, 3丁目、井田三舞町、井田杉山町、井田中ノ町 川崎市、1996年。
- “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- “高津区の小学校(町丁名順)”. 川崎市 (2023年10月23日). 2024年2月9日閲覧。
- “高津区の中学校(町丁名順)”. 川崎市 (2023年10月23日). 2024年2月9日閲覧。
- “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- “郵便番号簿PDF(2023年度版) 表紙等付属資料” (PDF). 日本郵便. 2024年2月10日閲覧。 “郵便番号データダウンロード 郵便番号簿PDF(2023年度版)”
- “交番案内/高津警察署/神奈川県警察”. 神奈川県警察. 2024年2月17日閲覧。