軍事航空博物館

軍事航空博物館(ぐんじこうくうはくぶつかん、Military Aviation Museum )は、アメリカ合衆国ヴァージニア州にある航空博物館。飛行可能な軍用機を所有する世界で最大規模の博物館である。

軍事航空博物館
Military Aviation Museum
博物館の西側格納庫群
施設情報
正式名称 Military Aviation Museum
愛称 MAM
専門分野 航空
創設者 ジェラルド・イェイゲン(Gerald "Jerry" Yagen)
館長 ジャロッド・フーグランド(Jarod Hoogland)
開館 2005年[注 1]
外部リンク 公式サイト
プロジェクト:GLAM

歴史

前史

博物館の所蔵品は主にジェラルド・イェイゲン(Gerald Yagen)とイレイン・イェイゲン(Elaine Yagen)夫妻のものであった。二人はヴァージニアビーチ市に長年在住していた。ジェラルドは現在センチュラ・カレッジ(Centura College)という名称の航空教育学校となっているタイドウォーターテック(Tidewater Tech)を設立した実業家で、長い間民間の操縦士であったが、軍に入隊したことはなかった。彼は民間機の飛行しか経験したことがなく、たいてい双発のPA-60エアロスターに搭乗していた。

1994年の秋、ジェラルド(以下イェイゲンと表記)はカナダで開催されたPA-60所有者の年次大会に出席しており、ある夜にオンタリオ州ハミルトンカナダ軍用機遺産博物館で行われた、多くの歴史的な飛行機の中でのディナーダンスに参加した。ダンス参加者は1940年代の服を着用するよう求められていたことから、夫妻は見つけた元B-17爆撃機搭乗員の制服を着用し戦時中のカップルとして参加した。そのときイェイゲンは、週末にヴァージニアビーチの上空を飛行するために、これらの歴史的な航空機を一つ入手することが面白いかもしれないと考えた[1]

P-40Eの入手

彼はすぐに第二次世界大戦時代の航空機を探したが、その困難さをすぐに知った。時折修復プロジェクトがあったが、飛行可能な機体の販売はとても少なかったため、彼は最終的にロシアの北極圏北部から回収されたP-40E戦闘機の残骸を購入した。この機体は第二次世界大戦中のルーズベルト政権によるレンドリース法に基づいて供与されたものであった。

ソヴィエト連邦の崩壊に伴い、スイスの時計メーカーはこのような墜落機の残骸をいくつか回収し、カンザス州の小さな町の修復業者に販売していた。契約はすぐに成立し、修復を開始するためにノーフォークに移された。

P-40Eの修復が最初に行われることが決定された。しかし、部品を製造していたほとんどの企業はずっと前に事業を停止していたため、必要な部品の多くは元の製造業者に注文することができなくなっていた。このため、多数の小さな部品を探してイェイゲンはニュージーランドを訪れた。彼は自らP-40修復を完璧に行っている地元の団体を知った。団体はすでに必要な組み立てジグを構築し、そのような航空機を完成させるために必要な入手不可能な部品の一部を製作していたので、不完全な状態のP-40Eをニュージーランドのオークランドに輸送し、その団体の手を借りて修復を完了させることが決定された。2年以内に修復が終わり、この飛行機は最初のテスト飛行を行い、南島にあるオマカのイースター航空ショーに展示された。このとき、米国義勇軍フライング・タイガーズに所属していたテックス・ヒルのマーキングがされていた。その後解体され、コンテナ輸送でヴァージニアに返送された[1]

収集

イェイゲンはP-40Eを入手すると、2機目の航空機を入手しにかかった。彼はヴァージニアビーチ北部のベイアイランドのあたりに住む、裏庭に珍しいFG戦闘機を保管している所有者から買い取った。航空機は分解状態ではあったものの、部品の欠損は少なかった。この機体はもともとニューポートニュースのヴァージニア戦争博物館で展示されていたが、所有者は地元のVFWポストを通じて入手した。この珍しく歴史的な航空機は、第二次世界大戦中の沖縄戦で航空母艦イントレピッドから攻撃を行った機体であった。

一方イェイゲンは尾輪式飛行機の飛行経験がなかったため、現在珍しい尾輪式飛行機の操縦方法を学ぶために、テキサスで販売されていたステアマン複葉機について所有者と電話で交渉し購入した。しかし、ステアマンは尾輪の着陸の基礎を学ぶのに適した練習機ではあるが、第二次世界大戦の戦闘機の速度より遅く、練習機としては十分ではなかったため、より速くより重い練習機を獲得することが決定された。

イェイゲンが練習機を探していた頃、南アフリカ共和国ではアパルトヘイト政策の廃止後、新しい指導者としてネルソン・マンデラが選ばれた。このことにより、南アフリカに対する世界中の武器禁輸措置が解除された。これに先立ち、彼らはAT-6練習機のような余剰となった第二次世界大戦の軍事訓練機でパイロットを訓練していたが、武器禁輸措置の解除に伴う新型機の導入によりAT-6がすべて同時に市場へ売りに出された。このような飛行機の価格は当初大量販売によって比較的安価であった。イェイゲンはこれを知り、この中から海軍のSNJ-4として指定されていた機体を購入した[1]

開館

博物館は2005年に建設され、収集された航空機の修復や保管が行われていた。2008年には、ある程度の所蔵品がそろったことから一般公開が始められた[2]

経営危機

2013年6月に、イェイゲンの事業が厳しくなり、博物館が財政難となった。このため博物館やそのコレクションが売却されることが明らかとなった。彼は航空教育学校の事業をすでに売却していたため、博物館の資金源となる事業を有しておらず、貯金や入場料で博物館を運営していた[3]

The Virginian-Pilot紙は、イェイゲンが「私は博物館へ毎年多額の助成金を支給していたが、私のビジネスでは金銭的にそれを行うことができなくなったため、解決策がない」と述べた[4]と紙面に載せた。

発表された博物館と航空機の販売はさらに早まった。1週間後、「博物館は間もなく閉鎖され、施設の飛行機の一部は飛行可能な状態を保つために売却される可能性がある」と「私たちはまだ営業しており、事業は通常営業だ」と発表された[5]

しかし、イェイゲンは博物館の航空機数機を売却したのみで、経営を立て直した。現在、イェイゲンの事業と博物館の運営は正常である[6]。経営は良好な状態を保っているとみられ、2013年以来DH.89ドラゴンラピードを含む数機が取得されており、飛行可能とするため修復されている。

施設

博物館は、ヴァージニア州ヴァージニアビーチ市のプンゴ地区にある、ヴァージニアビーチ空港という小さな芝生飛行場の一角にある[7]

建物は東と西に分かれている。西側には北からザ・コトバス、ファイター・ファクトリー、WWI格納庫、ザ・ゴックスヒル・タワーがあり、東側には西から陸軍格納庫、入口のある本体建物、海軍格納庫がある。

陸軍格納庫

博物館の本体建物の西側に隣接している。この15,000平方フィートの格納庫には、英国陸軍、ロシア、その他の国のコレクションの一部と米国陸軍航空隊の航空機の多くが展示・格納されている。

陸軍格納庫は、特別なイベントのためにレンタルを行われており、天候次第では航空機を外に移動してテーブルと椅子用のスペースを空けることが可能である[8]

海軍格納庫

博物館の本体建物の東側に隣接している。この15,000平方フィートの格納庫には、多くの米国海軍機やドラゴンラピードが展示・格納されている。

海軍格納庫は、軍の退官式、結婚披露宴、その他私的な行事のために貸し出されており、博物館主催の各種ダンスパーティーの会場ともなっている[9]

ザ・コトバス

1934年にOsdeutsche Landwerkstatten GmbH(OLA社)によって建てられた本物のドイツ軍格納庫である。

格納庫はもともと、飛行学校の航空機を収容するためにドイツ空軍第6格納庫として建設された。第二次世界大戦中の1941年から1944年までは、Fw 190戦闘機Fw 200輸送機の製造中に、フォッケ=ヴルフ社が保管と試験飛行の拠点として使用した。第二次世界大戦終盤になると、Ta 152戦闘機がそこで組み立てられていた。

この格納庫は、ベルリン南東のコトブス(英語読み : コトバス)にあるコトブス陸軍飛行場から移設された。現在はドイツ軍機が展示・格納されている[10]

ファイター・ファクトリー

博物館の展示機および新たに入手された機体の修復およびメンテナンス施設。公開されている[11][12]

WWI格納庫

2011年に、第一次世界大戦機の格納庫として西側のファイター・ファクトリー南に隣接してオープンした。この15,000平方フィートの格納庫は、英国の建築家であり両世界大戦の歴史的な飛行機とヨーロッパの航空事情に精通しているスティーブン・アトキン(Steven Atkin)によって設計され、第一次世界大戦中に格納庫として使用されていたフランスの納屋を連想されるデザインとなっている。

この格納庫は滑走路に対して垂直方向の誘導路に面した小さなドアを備えており、収容されている軽量の木製および布製の飛行機を芝生の駐機場に誘導できる。外装は下見板張りの木材で、屋根はブリキという、プンゴ地区における古い納屋の多くでよく見られた外観の建物となっている[13]

ザ・ゴックスヒル・タワー

1942年8月、ゴックスヒル空軍基地は、1941年初頭に行われた協定の下で、正式にアメリカ陸軍航空軍に移管された最初のイギリス空軍の飛行場であった。この飛行場にあった管制塔がこのタワーである。

博物館の管制塔は、実際にイギリスのリンカンシャーにあるゴックスヒル空軍基地に建てられていたものであるが、同様な何百もの基地にあった塔は現在、取り壊されたり放置されて朽ちているため、これはこのタイプのうち米国にある唯一の本物の塔である[14]

ジェラシック・パーク

ヴァージニアビーチ空港と博物館敷地の入口にある、恐竜彫刻が置かれている公園。無料で見学できる[15]

所蔵品

第一次世界大戦第二次世界大戦の時に使用されていた航空機をはじめ、様々な年代の航空機を所有している。そのうちかなりのものが飛行可能ないし飛行登録番号を取得することで飛行可能に準ずる状態となっている。

第一次世界大戦

型名    番号 機体写真    製造者備考
D.VIIレプリカ 6880
N1918P
1991年に製造されたもの。
D.VIIレプリカ 7795
N1918F
1968年に製造されたもの。
D.VIIIレプリカ 2790
N8105D
2008年に製造されたもの。
JN-4D ジェニー 34135
N6898C
カーティス・エアロプレイン・アンド・モーター
1½ ストラッターレプリカ RA003
N4088H
(ソップウィス・エイヴィエーション) 2010年に製造されたもの。
D.Vaレプリカ 0034
N482UT
ヴィリアムス・フルークツォイクバウ 1978年に製造されたもの。
S.XIIIレプリカ N22RC 航空機・関連製品(SPAD/スパッド) 大きさは実機の3/4。
17レプリカ 1
N1918C
(ニューポール) 2011年に製造されたもの。
XIレプリカ 680
N892
(ニューポール) 1994年に製造されたもの。
C.Iレプリカ 17268
N817BP
2005年に製造されたもの。
D.VIレプリカ 2620
N29WR
1996年に製造されたもの。
E.IIIレプリカ 419/15
N915E
CL.IVレプリカ N6175J (ハルバースタット) 1993年に製造されたもの。
XIレプリカ N781X (ブレリオ)
EX フライヤー (ヴィン・フィズ・フライヤー) ライト兄弟
D プッシャーレプリカ 01BC
N44VY
カーティス・エアロプレイン・アンド・モーター
Dr.Iレプリカ ZN-1/07N917RB

第二次世界大戦

型名           番号   機体写真    製造者備考
Me 262A/B-1c シュヴァルベ 501243
N262MF
Me 262 プロジェクト 再生産されたもの。
P-40E-1-CU キティホーク
キティホーク Mk.IA
41-35927
ET573
1025
18448
N1941P
カーティス=ライト 博物館運営者のイェイゲン氏が最初に取得した機体。
FG-1D コルセア 92508
3769
N46RL
グッドイヤー・エアクラフト
P-51D-20-NA マスタング 44-63507
122-31233
N51EA
ノース・アメリカン・エイヴィエーション 44-63684「Double Trouble Two」という機体の塗装がされている。
HA-1112-M1L ブチョン C.4K-64 133 イスパノ・アヴィアシオン Bf 109G-4 19257という機体の塗装がされている。
ハリケーン Mk.XIIA 5667
56022
ホーカー・シドレー・エアクラフト カナダ空軍で運用された機体。
MiG-3 SEAV.02.0154
N107FB
第1工場、第21工場
(ミコヤン・グレヴィッチ設計局)
P-64レプリカ
(SNJ-4 テキサン)
51363
88-13630
N22518
ノース・アメリカン・エイヴィエーション
361 スピットファイア HF Mk. IXe MJ730
CBAF.7243
ヴィッカース=アームストロングス (エアクラフト)
FM-2 ワイルドキャット 47030
2183
N315E
ジェネラル・モーターズ
Yak-3M 0470103
N42YK
A・S・ヤーカヴレフ記念試作設計局 1993年にかつて設計局だったヤーカヴレフ社によって製造されたもの。
P-26Dレプリカ N26PX ジョン・ネイサン・マヨ 2006年に製造されたもの。
Fw 190A-8/N ヴュルガー 900005
N190BR
フルーク・ヴェアーク 2009年に製造されたもの。
Fw 190A-8 ヴュルガー 732183 フォッケ=ヴルフ・フルークツォイクバウ
Fw 190D-9/N ヴュルガー 900003
210079
N623TB
フルーク・ヴェアーク 1997年から2004年の間に製造されたもの。
I-15bis 3994
N3815R
第1工場
第39工場
I-16 24 2421028
N1639P
第21工場
第39工場
第153工場
第458工場
I-153 6316
N153RP
第1工場
La-9 828
N415ML
第21工場
P-63A-10-BE キングコブラ 42-70609 ベル・エアクラフト
352-L T.2B-176
067
N352JU
コンストルクシオネス・アエロナウティカス
B-25J-25-NC ミッチェル 44-30127
108-33402
N7947C
ノース・アメリカン・エイヴィエーション
TBM-3E アヴェンジャー 53454
3516
NL7030C
ジェネラル・モーターズ
PBY-5A カタリナ 48294
1656
N9521C
コンソリデーテッド・ヴァルティー
AD-4 スカイレイダー 123827
7133
N23827
ダグラス・エアクラフト
DH.98 モスキート FB.26 KA114
8459
N114KA
デ・ハヴィランド・カナダ デ・ハヴィランド・カナダ社でライセンス生産されたもの。
DHC-1 チップマンク 22 WK559
C1/0576
N559WK
デ・ハヴィランド・エアクラフト デ・ハヴィランド社でライセンス生産されたもの。
Bü 133C ユングマイスター U-91
38
N38BU
ドルニエ・フルークツォイクヴェルケ ドルニエ社でスイス向けにライセンス生産されたもの。
PT-17 41-25254
75-2743
N41EE
ボーイング
DH.82A タイガーモス Mk.II T5522
83230
N6463
デ・ハヴィランド・エアクラフト
Fw 44J シュティーグリッツ 183
N183FW
フォッケ=ヴルフ・フルークツォイクバウ 1937年に製造されたもの。
PT-19A-FA コーネル 42-83643
T43-7230
N129PT
フェアチャイルド 1943年に製造されたもの。
SNJ-2 テキサン 02011
65-2000
N55729
ノース・アメリカン・エイヴィエーション
N3N-3 02892
2892
X120BH
海軍航空工廠
1002 パングァン 258
N108ZZ
北部航空機製造公社
1101 ノラルファ 162
N208K
北部航空機製造公社(SNCAN)
G.46-3B MM53091
141
N46FM
フィアット・アヴィアツィオーネ
U-2 0717
0717
N3602
第39工場
L-5 センティネル 44-17588
3786
N57WT
スティンソン・エアクラフト
J-3C-65 3196
N23464
パイパー・エアクラフト

他の機体

型名       番号   機体写真    製造者備考
Fi 103
Me 328レプリカ
P 13a (アレクサンダー・リピッシュ)
T-28A-NA トロージャン
T-28D-5-NA ノウマッド
49-1634
159-146
N99160
ノース・アメリカン・エイヴィエーション
T-34A-BH メンター 55-0221
G-778
N56NT
機体にはT-34Bと表記されている。
Dr.Iレプリカ 001TP
N900TP
2003年に製造されたもの。
Hü 136レプリカ (ヴォルフガンク・フッター
ウルリッヒ・フッター)
TLJ-2 シュタールイェーガーレプリカ (バイエルン自動車製造(BMW))
P 213レプリカ (ブローム・ウント・フォス)
P 214レプリカ (ブローム・ウント・フォス)
E 580レプリカ (アラド・フルークツォイクヴェルケ)

かつての機体

型名           番号   機体写真    製造者備考
DH.89A ドラゴンラピード Mk.VI HG724
6709
N89DH
ブラッシュ・コーチワークス 2013年に取得されたが、間もなくルイス・エア・レジェンズに売却された。

関連項目

博物館

脚注

注釈

  1. 博物館の建設・開館は2005年だが、一般公開は2008年である。

出典

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