防己尾城
防己尾城(つづらおじょう)は、因幡国高草郡(現在の鳥取県鳥取市金沢)にあった日本の城(平山城)。
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|---|---|
![]() 防己尾城跡・遠景(湖山池公園) | |
| 別名 | 吉岡城, 亀山城 |
| 築城主 | 吉岡定勝 |
| 築城年 | 1579年(天正7年) |
| 主な城主 | 吉岡氏(吉岡質休、吉岡右京道秀) |
| 廃城年 | 1581年(天正9年) |
| 遺構 | 曲輪 |
| 指定文化財 | 未指定 |
| 再建造物 | なし |
| 位置 | 北緯35度30分18.7秒 東経134度07分59.9秒 |
| 地図 |
![]() 防己尾城 |
概要
1579年(天正7年)、因幡国の有力国人・吉岡定勝によって築かれ[1]、1581年(天正9年)の羽柴秀吉による因幡侵攻に伴い落城、廃城となった。なお、防己尾(つづらお)という城名は江戸時代ごろに定着したものであり、天正年間には亀山城、吉岡城と呼ばれた。
歴史

羽柴秀吉軍との間で激しい戦いが行われた三の丸跡
もともと吉岡氏は六反田の丸山城を本拠としていたが、1573年(天正元年)頃に箕上山城(標高297m)に本拠を移した。しかし箕上山城はあまりに峻険かつ深山だったため、前記1579年(天正7年)に防己尾城を築いて新たな本拠とした。
1581年の羽柴秀吉の鳥取城攻撃に際し、吉岡一族は防己尾城に拠って羽柴秀吉に対抗した。伝承に拠れば、「湖畔の小城一つと見くびった秀吉は3度にわたって手勢を差し向けるが、吉岡は変幻自在の戦法で秀吉の大軍を3度とも撃破した。特に2度目の防己尾城攻撃の際は、秀吉自慢の千成瓢箪の馬印も打ち捨てられるほどの大勝だった。」と伝わるが、そもそも史実の羽柴秀吉は「千成瓢箪の馬印」を使用していないなど、戦闘の経緯を含めて後世の巷談でしかない。
言い伝えによれば、力攻めは不利と悟った秀吉は兵糧攻めに切り替えたため、糧食尽きた吉岡一族は降伏して城を出て、毛利氏の本拠である安芸国など諸国を放浪の末、因幡国に戻って帰農したと伝えられている。
構造
脚注
- 「吉岡将監」鳥取市公式HP
関連項目
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