隈部崇之
人物・経歴
福岡県北九州市出身[1]。中央大学卒業後1967年、RKBに入り、プロ野球やマラソンなど、数多くのスポーツ中継にかかわった。2001年頃に早期退職してフリーとなってからも、引き続き地元に拠点を置いて野球中継などに携わる。
息子が2人いるが、ともにラグビーをやっており、全国高校ラグビーの福岡県大会において2人が出た試合の実況を行ったという。そのことで隈部は当時スポーツニッポン西部版の取材を受けた。 また隈部本人も、ラグビー経験があった。花園ラグビー場からの中継では、メイン制作局のMBSやTBSのアナウンサーとともに実況していた。
RKBラジオのナイター中継では、「福岡の攻撃!」と実況し、当時の親会社である「ダイエー」の呼び方を避けていた。
東京MXテレビで放送されている、福岡ソフトバンクホークス戦の実況を2009年まで担当していた。
担当した番組
- おはようサタデー[1]
- 『RKBエキサイトナイター』などRKBのプロ野球中継
- 別府大分毎日マラソン
- 全国高校ラグビーフットボール大会
- 福岡国際女子柔道選手権大会
- ユニバーシアード福岡大会
- 当初実況を担当する予定だった石井智(TBSを退職直後)の病気療養により急遽マラソンの実況担当となった(石井はスタート約6時間前に逝去)。
- ドラマティック プロ野球・パ!(旧スポーツ・アイ ESPN)
- STRONG!ホークス野球中継(東京MXテレビ)
後継者とされるアナウンサー
- いずれも隈部が担当していた主なポジションを引き継いだ。
脚注
- 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、281頁。NDLJP:12276264/141。
関連項目
- 稲尾和久
- 野球中継を通じて親交があり、『今日感テレビ』稲尾死去緊急特集の際に隈部はゲストとして列席した。
- 谷亮子
- 福岡国際女子柔道で14歳で初優勝したのを機に長年実況をし続け、さらに1995年のユニバーシアード福岡大会優勝の際も実況を務めた。
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| パラリンピック(※) |
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| アジア競技大会(※) |
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| ワールドゲームズ(※) |
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| ユニバーシアード(※) |
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| FIFAワールドカップ(※) |
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| ラグビーワールドカップ(※) |
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(※)冬季オリンピックが単偶数年となった1994年以降を記載(FIFAワールドカップ、ラグビーワールドカップ等もこれに準ずる。)。フリーでの出演者は記載しない。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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