高井戸宿
概要
通行大名が少なく、脇本陣は置かれなかった。当初は甲州街道の一番目の宿場であったが、後に内藤新宿が設置され、次第に素通りするものが多くなった。
周辺住民は農業を主としており、一宿で継ぎ立てを勤められず、月初から15日までを下高井戸宿、16日から月末までを上高井戸宿が勤める[2]合宿としていた。
助郷村は、久我山村、和泉村、松庵村、田端村(1751年(宝暦元年)-1767年(明和4年))、成宗村(1751年(宝暦元年)-1767年(明和4年)、久我山村代助郷)。
沿革
- 1602年(慶長7年) - 高井戸宿が設けられる。
- 1604年(慶長9年) - 上・下高井戸宿に分けられる。
- 1673年(延宝元年) - 1680年(延宝8年)ころ - 旅籠が24軒存在。
- 1698年(元禄11年) - 内藤新宿が設置され、高井戸宿は甲州街道の第二番目の宿場となる。
- 1781年(天明元年) - 1789年(寛政元年)ころ - 旅籠が6軒存在。
- 1839年(天保10年) - 下高井戸宿の本陣は、すでになかった[3]。
- 1843年(天保14年)ころ - 旅籠は、上高井戸宿で2軒、下高井戸宿で3軒。
- 1872年(明治5年) - 駅制業務は、明治政府が管掌し、半強制的に新たな陸運会社が置かれ、旧高井戸宿では旧宿場役人を中心に「高井戸駅陸運会社」を設立する。
脚注
- 複数の宿場が、月の日数ごとに継ぎ立て(馬や人の背で宿から宿へと継ぎ送ること)を勤める。
- 新編武蔵風土記稿 上高井戸宿.
- 細淵家文書、1839年(天保10年)
関連項目
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.