高山保次郎
人物
1838年(天保9年)、和泉泉南郡南中通村(現・大阪府泉佐野市)、里井孝幹の二男として生まれる。幼名は寬三郞。
里井家は代々好学で、幼少より学を好み、家翁の教授を受け、15歳のとき堺市九間町の高山家の養子となり家督を継ぎ、名を保次郎と改める。
父の没後は岩崎長世に国学をまなび、大阪枚岡神社に出仕、歌会始の撰者に加わる。また堺の区長などをつとめる。
1907年(明治40年)、70歳で死去。没後に『苞居歌集』が刊行された。
参考文献
- 『堺市史第七巻』(1930年 清文堂出版)第一編 人物誌 第四章 整頓期(四五)
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