高崎市立短期大学
高崎市立短期大学(たかさきしりつたんきだいがく、英語: Takasaki City Junior College[1])は、群馬県高崎市高松町1番地[注釈 1] に本部を置いていた日本の公立大学である。1952年に設置され、1958年に廃止された。
| 高崎市立短期大学 | |
|---|---|
| 大学設置/創立 | 1952年 |
| 廃止 | 1958年 |
| 学校種別 | 公立 |
| 本部所在地 | 群馬県高崎市高松町1番地[注釈 1] |
| 学部 | 商経科 |
概要
大学全体
基礎データ
所在地
- 群馬県高崎市高松町[注釈 1]
学生生活
部活動・クラブ活動・サークル活動
短期大学から大学移行に関して
短大から大学への移行に際しては、短大教授19人のうち経済大学に教員として残るのは6名で、13人が外された[27]。大井正に代表されるように、進歩的な教員が再任されず、事実上追放された。市当局は、短大と高崎経済大学は別の大学であるため教授陣を引き継ぐ必要はなく、また13名は東京からの通勤で出講率が悪いためと説明したが、解雇された大井正教授らは「われわれ13人を思想的に面白くないとして整理したのだ」と訴えた[27]。
これにかわって、東京大学の元教授で、高崎経済大学初代学長となる田辺忠男、東宝争議時代、経営側としてストに強硬路線で対決した渡辺銕三、ILO日本代表をつとめた北岡寿逸の三教授を中心とした保守派の教授陣を迎えた。田辺は、戦前、東大の革新派として土方成美、橋爪明夫、難波田春夫らとともに知られ、大内兵衛、矢内原忠雄らのマルクス派、河合栄治郎、大河内一男、山田文雄らの純理派と角逐を繰り広げ、一時は辞表を提出した経緯を持つ。
注釈
出典
- CiNiiより
- 文部省年報 第80年(昭和27年度)より。
- 高崎市総合計画より。
- 高崎市 『第65回高崎経済大学の設立』 2023年12月18日
- 働きながら大学を出るには (受験新書)①より。
- 高崎経済大学'2007.6, p. 12.
- 働きながら大学を出るには (受験新書)②より。
- 短期大学一覧 昭和27年度 (短期大学資料 ; 第5号)より。
- 群馬県百年史 下巻より。
- 教育年鑑 1953年版より。
- 高崎経済大学'2007.6, p. 3.
- 第65回高崎経済大学の設立高崎市
- 開学!高崎経済大学たかけい学報 第73号、平成17年8月25日、高崎経済大学広報委員会
- 短期大学一覧 昭和32年度 (短期大学資料 ; 第18号)より。
- 全国学校名鑑 昭和32年版より。
- 短期大学一覧 昭和33年度 (短期大学資料 ; 第19号)より。
- 短期大学一覧 昭和31年度 (短期大学資料)より。
- 文部省e, p. 33.
- 現行法令輯覧 26-2巻 学事2より。
- 教員の資格・給与・恩給詳解より。
- 文部省'54, p. 1370.
- 高崎経済大学'2007.6, p. 8.
- 高崎論叢より。
- 高崎経済大学'2007.6, p. 12-13.
- 高崎経済大学'2007.6, p. 12,18-19.
- 高崎経済大学'2007.6, p. 9.
- 1965年における高崎・都留・下関の3市立大学事件高橋寛人、大学論集 第35集
参考文献
- 文部省大学学術局『教員養成課程認定大学短期大学一覧 : 附指定教員養成機関一覧. [昭和30年 / [編]]』(PDF)文部省。
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和30年版』青葉書房。
- 高崎経済大学五十年史編集委員会 編『高崎経済大学五十年史:地域貢献の理想を求めて』高崎経済大学。
関連項目
外部リンク
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