高月敏文

高月 敏文(たかつき としふみ、1952年11月2日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手内野手)。左投左打。現在は広島東洋カープ球団職員。

高月 敏文
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県宇部市
生年月日 (1952-11-02) 1952年11月2日(71歳)
身長
体重
175 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1975年 ドラフト6位
初出場 1976年6月17日
最終出場 1980年10月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

宇部商業高校では2年生の時、一塁手、五番打者として1969年夏の甲子園に出場。1回戦で取手一高に敗退[1]。1年上のチームメートに有田修三がいた。翌年夏の甲子園県予選では準々決勝で多々良学園に敗れる。

高校卒業後は、社会人野球東洋紡岩国に進む。1975年都市対抗では協和発酵に補強され出場、大昭和製紙との1回戦で本塁打を放つ[2]。東洋紡岩国のチームメートに渡辺純志がいた。同年のプロ野球ドラフト会議にて広島東洋カープから6位指名を受け入団。

1976年ウエスタンリーグ打点王を獲得。守備に難があり一軍では定位置獲得には至らず、左の代打要員に終わる。1981年限りで現役引退。

1年目の1976年10月16日読売ジャイアンツの優勝決定試合で小林繁に三塁ファウルフライに打ち取られ、最後の打者となった。

引退後は球団職員となる。2015年度プロ野球アワードにて、長年にわたり由宇練習場長としてファームの運営に貢献してきた点を評価され、功労賞を受賞する。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1976 広島 611111420192000000040.364.364.8181.182
1977 10881100142000000041.125.125.500.625
1978 1111110200020000000010.182.182.182.364
1980 1313130210031000000041.154.154.231.385
通算:4年 404343293021850000000132.209.209.419.628

記録

背番号

  • 50 (1976年 - 1981年)

脚注

  1. 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目

外部リンク

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