高木晃次

高木 晃次(たかぎ こうじ、1968年5月10日 - )は、千葉県旭市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

高木 晃次
2009年千葉マリンスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県旭市
生年月日 (1968-05-10) 1968年5月10日(55歳)
身長
体重
182 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1986年 ドラフト1位
初出場 1987年10月18日
最終出場 2009年8月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

阪急・オリックス時代

1987年、横芝敬愛高校では2年生の時に夏の千葉県大会5回戦まで進出[1]。公式戦通算193イニングを投げ、176奪三振を記録した[1]

阪急ブレーブスにドラフト1位で指名され入団[1]。同期3位に最後の阪急所属選手・中嶋聡がいた。

1990年に速球を武器に一軍に定着し、主に中継ぎとして活躍。しかし、以降は制球に苦しみ、低迷が続いた。

1993年オフに馬場敏史とのトレード福岡ダイエーホークスに移籍[1]

ダイエー時代

1997年に3年間で一軍登板5試合に終わりオフに戦力外通告を受ける。

ヤクルト時代

ヤクルトスワローズにテスト入団[1]。監督の野村克也の指示でサイドスローとシュートを覚える。

1998年はワンポイントリリーフを中心に24試合に登板。復調の手応えを掴む。

1999年には開幕直後は二軍スタートだったものの、4月21日に一軍登録されると、その日の中日戦に登板して自身8年ぶり、そしてセ・リーグ初の勝利を記録した。4月末から先発ローテーションに入り5月3日の対広島戦3回戦では、1991年9月7日対ダイエー20回戦以来8年ぶりの先発勝利を記録。5月12日阪神タイガース戦では13年目にしてプロ初完封勝利を記録した[2]。この年はエース格の石井一久伊藤智仁川崎憲次郎らの不調もありそこから一気に先発ローテ入りして大車輪の活躍を続け、結果的にジェイソン・ハッカミーに続き3完封を含め9勝(8敗)のチームの日本人投手最高の成績を残してセ・リーグ投手防御率ベスト10の8傑に入り、規定投球回数にも初めて到達すると言う充実の一年を過ごした。

2000年から再び低迷。

2001年に2度目の戦力外通告を受ける。

ロッテ時代

千葉ロッテマリーンズにテスト入団[1]

2002年10月8日の対大阪近鉄バファローズ戦では3年ぶりの完封勝利を無四死球で飾る。

2003年4月22日の対大阪近鉄バファローズ戦でも完封勝利を挙げるなど、移籍して数年間は時折先発もした。

2005年からはビハインドでのロングリリーフや早い回での1イニング登板、左のワンポイントなど中継ぎとして活躍した。

2007年はプロ入り21年目で初めてFA権を取得したことが話題となった。同年は藤田宗一の故障もあり、自己最多を1試合更新する43試合に登板した。同年のパ・リーグクライマックスシリーズ第2ステージ第2戦では、ふくらはぎの痙攣で降板した小林宏之をリリーフし、勝利投手となった。

2008年3月23日の対日本ハム戦では、1990年7月11日の福岡ダイエーホークス戦以来、18年ぶりにセーブを記録。翌24日の対福岡ソフトバンクホークス戦では通算300試合登板を達成した。同年もワンポイントリリーフなどに重用され、前年の自己最多に並ぶ43試合に登板。藤田宗一や薮田安彦らの移籍で手薄になった中継ぎ陣を支えた。

2009年は不振で16試合の登板に終わる。10月1日に41歳で3度目の戦力外通告を受ける。12球団合同トライアウトに参加したが、獲得球団はなく、12月4日に現役を引退した[3]

現役引退後

2010年からはロッテのスコアラーとして活動する[3]

2018年頃までは新聞などでコメントを出していたが[4]2022年時点ではロッテを退団しているようであり[注 1]、同年3月16日に研修を経て学生野球資格を回復している[5][注 2]

選手としての特徴

晩年の投球スタイルは、サイド気味の左腕から140km/h中盤の直球を主体にスライダーフォークシュートを織り交ぜるもの。直球は140km/h後半に達することもあるなど威力があり、投球の生命線となっていた。横手投げや上手投げも交え、投げる角度を変えて相手を幻惑するというベテランらしい投球術も見せた。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1987 阪急
オリックス
11000000------194.241200110111.931.38
1989 60000000------509.1155810420131312.542.46
1990 421000622--.75027364.05453102524025212.951.33
1991 185000210--.66725556.06083603292036325.141.71
1994 ダイエー 10000000------51.000200100000.002.00
1995 10000000------71.0500000103327.005.00
1996 30000000------30.1101000001127.006.00
1998 ヤクルト 242000030--.00010321.22111524151023208.311.66
1999 2721431980--.529609145157123935732064613.791.35
2000 2315000280--.20035877.1104122915482049495.701.72
2001 22000020--.000327.073301300979.001.43
2002 ロッテ 176111330--.50018343.04861101210119173.561.37
2003 108110160--.14318441.15021402150026265.661.55
2004 277000230--.40025958.27462440291038385.831.67
2005 20000010011.0009925.12116111400993.201.07
2006 33000020031.00015433.23921540250025215.611.60
2007 43000010071.00015735.24041204200015153.791.46
2008 4300000017----12728.02811602230011113.541.57
2009 1600000001----5311.0151502500775.731.82
通算:19年 357686522936319.4462930664.07437026916323781613743524.771.52
  • 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更

記録

背番号

  • 19(1987年 - 1993年)
  • 44(1994年 - 1997年)
  • 64(1998年 - 1999年)
  • 14(2000年 - 2001年)
  • 48(2002年 - 2009年)

脚注

注釈

  1. プロ野球球団に所属したままでは原則として学生野球資格の回復を認められていないため。
  2. 認定者一覧では「木晃次」名義になっている。

出典

  1. プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、313ページ
  2. 2000 ベースボール・レコード・ブック 79頁 1999年度主要記録集「13年目の初完封勝利」より。
  3. 高木晃次投手引退のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト
  4. 【オリックス】ドラ2K―鈴木、伝説スライダーを披露”. スポーツ報知 (2018年2月14日). 2023年8月25日閲覧。
  5. 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者”. 公益財団法人日本学生野球協会. 2022年9月29日閲覧。

関連項目

外部リンク

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