鶴舞 (市原市)

鶴舞(つるまい[4])は、千葉県市原市の南総地区にある大字。郵便番号は290-0512[2]。

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鶴舞
大字
鶴舞交差点(2023年撮影)[注釈 1]
地図北緯35度22分54.4秒 東経140度11分0.2秒
座標位置:鶴舞公民館付近
国 日本の旗 日本
都道府県 千葉県の旗 千葉県
市町村 市原市
地区 南総地区
人口情報(2017年11月1日現在[1])
 人口 1,116 人
郵便番号 290-0512[2]
市外局番 0436[3]
ナンバープレート 市原
ウィキポータル 日本の町・字
千葉県の旗 ウィキポータル 千葉県
ウィキプロジェクト 日本の町・字

明治初期、遠江国浜松藩から領地を移された井上家(鶴舞藩6万石余)によって、新たに藩庁所在地として建設された地区という歴史を有する。

地理

かつて「桐木台」「鶴舞台」と呼ばれたように、標高100m前後の台地状の地形であり、上総鶴舞駅のある南西側の池和田との間には40mほどの標高差がある。

鶴舞にはいくつかの飛地がある。小学校や郵便局のある鶴舞の「本体」は、鶴舞交差点を中心としたときに、北東に奥野、東に水沢、南西に田尾、西に池和田と接し、北西で石川と入り組んだ形で(北西に流下する石川川とその支流の崖に沿って)境界を接している。「本体」の西方には、石川、下矢田、江子田などに囲まれて飛地が点在している。鶴舞大蔵屋団地の一部や志代坊堰の周縁、鶴舞交差点から直線距離で約3km離れた千葉県立市原特別支援学校つるまい風の丘分校の敷地も鶴舞の飛地である。

歴史

地名の由来

「鶴舞」という地名は、鶴が翼を広げたような地形から命名されたという[5][6]。ただし、もともと「鶴舞谷」という地名があり、これを採って桐木台全体を「鶴舞」(鶴舞台)と命名したという説もある[7]。

近世

江戸時代には市原郡石川村の一部で、桐木原あるいは桐木台[注釈 2]と呼ばれる台地上の荒蕪地であった[6]。

近代

鶴舞城本丸跡の碑

1869年(明治2年)2月、もと浜松藩主であった井上正直(鶴舞藩主)は上総の新領地に到着し[8]、埴生郡長南宿(現在の長生郡長南町長南)に仮藩庁を置いた[8][10][11]。しかし、藩士とその家族2000人あまりが移住するにあたり[8]、長南は手狭と見られたようである[11][6]。藩庁を置き藩士の住居を建設するために注目されたのが荒蕪地の桐木原であった[6]。同年2月12日付で桐木原への庁舎造営願いが聴許されている[6]。1870年(明治3年)4月に藩庁・知事邸や藩士居宅が完成[6]。藩庁は陣屋であったが、井上家は城持大名であったために「鶴舞城」と公称した[9]。こうした成立から鶴舞を「日本最後の城下町」と称することがある[12]。しかし、1871年(明治4年)には、廃藩置県によって鶴舞藩は廃止された[注釈 3]。藩庁跡地には小学校(現在の市原市立鶴舞小学校)が建てられた[13]。

鶴舞では「本格的な町作りが行われた」という評があり[14]、1889年(明治22年)の『上総国町村誌』には「村は市街たり」と記されている[13]。『上総国町村誌』によれば人口1732人(1886年(明治19年)時点の調査という[15])を数え、市原郡役場鶴舞出張所や千葉警察鶴舞分署が置かれていた[13]。

1889年(明治22年)の町村制施行に際し、鶴舞村は周辺の村とともに鶴舞村を発足させ、1891年(明治24年)1月には鶴舞町となった。郡内では郡庁所在地の八幡町に次いで2番目に町制をおこなった町である。1910年(明治44年)には市原郡立市原実科高等女学校(のちに千葉県立市原高等女学校、鶴舞高等学校、鶴舞商業高等学校などと変遷[注釈 4])が置かれた。

現代

1954年(昭和29年)、昭和の大合併に伴い南総町に含まれることになり、1967年(昭和42年)に市原市へ編入された。

年表

  • 1870年(明治3年) - 鶴舞城が鶴舞(桐木台)に完成。
  • 1871年(明治4年) - 廃藩置県によって鶴舞藩廃藩。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、鶴舞村発足。鶴舞村の一部に。
  • 1891年(明治24年) - 鶴舞村が町制施行し、鶴舞町に。鶴舞町の一部に。
  • 1954年(昭和29年)11月15日 - 鶴舞町と牛久町・戸田村・内田村・平三村が合併して市原郡南総町が発足。南総町の一部に[16]。
  • 1967年(昭和42年)10月1日 - 南総町と加茂村が市原市に吸収合併。市原市南総地区の一部に[16]。

世帯数と人口

2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。

町丁字世帯数人口
鶴舞 517世帯 1,116人

通学区域

市立小学校・市立中学校及び県立高等学校の通学区域は以下の通りである[17]。

町丁字 番地小学校中学校
鶴舞 一部市原市立内田小学校市原市立南総中学校
一部 市原市立鶴舞小学校

施設

交通

鉄道

地区の最寄駅は小湊鉄道線の上総鶴舞駅である。ただし駅は本地区ではなく、池和田に所在する。1925年(大正14年)の開業当時の駅名は鶴舞町駅であり、自治体としての鶴舞町が消滅したのち1958年(昭和33年)に上総鶴舞駅に改称した。

バス

系統経由地行き先
牛06鶴舞、平蔵大多喜車庫行
牛07鶴舞局鶴舞行き
茂30、茂45長南営業所茂原駅南口行き
牛04田尾、湯原里見駅行き
牛04、 牛06, 07、茂30南総中学校前牛久駅行き
茂30池谷田鶴舞駅行き

[18]

近隣の田尾には市原鶴舞バスターミナルがある。

道路

近隣の山小川には首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の市原鶴舞ICがある。

脚注

注釈

  1. 正面奥に向かう道路は千葉県道284号。手前を左右に通るのは千葉県道171号。右に市原鶴舞郵便局。
  2. 読み方は文献によってまちまちであり、「桐木原」に対し「きりぎのはら」[6]「きりきはら」[8]、「桐木台」に対し「きりのきだい」[9]などと読み仮名が振られている。
  3. 鶴舞県となるが、同年末には第1次府県統合により木更津県に統合された。
  4. 2005年に鶴舞商業高等学校と市原園芸高等学校が合併して千葉県立鶴舞桜が丘高等学校になるが、2019年に市原高等学校との統合により閉校。

出典

  1. “世帯数・人口(町丁字別)”. 市原市 (2017年11月7日). 2017年11月8日閲覧。
  2. “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月7日閲覧。
  3. “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. “地名・郵便番号案内 | 市原市ホームページ”. 2022年12月12日閲覧。
  5. “市原市内の地名の由来は?”. 市原市 (2019年8月2日). 2021年9月22日閲覧。
  6. “鶴舞御本営の造営”. 長柄町史(ADEAC所収). 2023年6月7日閲覧。
  7. 『千葉県市原郡誌』, p. 1227.
  8. “藩領引渡”. 浜松市史 三(ADEAC所収). 2023年6月7日閲覧。
  9. 川名登. “鶴舞藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2021年9月21日閲覧。
  10. “文化財・記念物”. 長南町. 2021年9月22日閲覧。
  11. 風間俊人 (2006-12). “ちょうなん歴史夜話 井上藩仮本営跡”. 広報ちょうなん (長南町) (353): 7. http://150.60.131.50/wp-content/uploads/2011/08/0612.pdf 2021年9月22日閲覧。.
  12. “歴史と桜のまち鶴舞”. 市原市 (2021年4月1日). 2021年9月22日閲覧。
  13. 『上総国町村史 第一編』, p. 34.
  14. 中島義一 1969, p. 229.
  15. 中島義一 1969, p. 220.
  16. 矢島秀朗『市原現代年表』市原市、2016年12月。
  17. “小学校・中学校の所在地及び通学区域一覧”. 市原市 (2017年6月2日). 2017年11月8日閲覧。
  18. 小湊バス

参考文献

関連項目

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