1977年のエチオピア
1977年のエチオピア(1977ねんのエチオピア)では、1977年のエチオピアに関する出来事について記述する。
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![]() エチオピアの国旗 (1975年-1987年) |
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概要
1974年に臨時軍事行政評議会(PMAC)の議長だったアマン・アンドムが殺害されて以降、社会主義エチオピアの元首は有名無実化され、デルグ(軍部調整委員会)の実権を握っていたメンギスツ・ハイレ・マリアム中佐に実権が集中していった。この1977年にはテフェリ・バンテPMAC議長らが粛清され、メンギスツ自らがPMAC議長に就任することで、デルグ及びメンギスツによる権力の掌握がほぼ完成した。しかし、エリトリア州での内戦は激化し、オガデンにおいても西ソマリア解放戦線との戦闘が起こる(オガデン戦争)など、国内の不安定化が加速する。そうした中エチオピアは武器供与の協定を結んだソビエト連邦やキューバ等社会主義諸国に急速に接近していった。
できごと
2月
4月
8月
死去
脚注
- Education International Barometer of Human & Trade Union Rights in Education Archived 2007年10月27日, at the Wayback Machine.(英語),2011-05-08閲覧。
- ラウル・バルデス・ビボ『エチオピアの知られざる革命』1978年、恒文社、pp204-206。
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