La-150 (航空機)

La-150ロシア語: Ла-150)は開発名称イズジェリェ 150Изделие 150、Izdeliye 150)でも知られる、ソ連ラヴォーチキン設計局が初めて開発したジェット戦闘機である。アメリカ合衆国国防総省(DoD)が割り当てたDoD識別番号はType 3[1]。8機が試作されたのみで実用化はされなかった。

La-150

三面図

三面図

開発と設計

ラヴォーチキン設計局は1945年2月にユンカース ユモ 004ターボジェットエンジンを使用した戦闘機の開発を命じられた[2]TsAGIによる助言の元、同時期に開発が命じられていたミグ設計局MiG-9と同様に高翼式の翼を採用し、ポッドアンドブーム(筒状の胴体に細い尾が付く形)のレイアウトとした[3] 。翼は全金属製とし、スロッテッドフラップを装備した[2]。視認性を良くするためコックピットは胴体の前寄りに配置し、パイロットの保護のためヘッドレストは防弾化された。武装はNS-23 20mm機関砲を胴体下側に2門、各75発として装備。エンジンはユンカース ユモ 004をソ連でコピーしたRD-10エンジンに改めコックピット後方に配置し、機首の吸気口から空気を取り込むようにした[2] 。燃料タンクは胴体に5箇所、翼に各1箇所の計7つのタンクとし500kgの燃料を積めるようにした[4]

1945年6月には第81号工場にてモックアップが完成したが、この工場は他のプログラムでいっぱいであったため、第381号工場で5機のプロトタイプが製作されることとなった。しかし、8月末には設計図が渡されていたが第381号工場は金属製航空機の製造経験が無く、必要な金型も不足していたため開発が遅れ[3]、1945年は年末に静荷重試験のためのモデルが作られるに留まった。 1946年、静荷重試験の結果、後部胴体、翼及び尾部を強化する必要がある事が判明し、垂直尾翼の拡大などの改修にも伴い最初の試作機が完成するまで6カ月の期間を要した。そこから更に地上試運転と2度のエンジン交換を行い、初飛行は9月11日に行われた[5]

初飛行の翌日、十月革命を記念して11月7日に行われるパレードにおいて、閣僚理事会は各OKBに対して少数のジェット機を参加させる事を命じた。非常に厳しい期限のため、未完成の試作機2機がヒムキに出来た新しいラヴォーチキン設計局の本社である第301号工場へ送られた。ゴーリキー(ニジニ・ノヴゴロド)にある第21号工場は第301号工場の支援により、記録的な早さで3機の機体を完成させた。工具は5日から10日の期間で揃えられ、最初の機体の組み立てに掛かった期間は1週間半だった[6]

試験と評価

11月1日までに予定していた8機の試作機が全て完成し、パレードに参加する準備が整った。これらは後にLa-13という非公式な名称を与えられた。ゴーリキーからモスクワまで輸送する必要があったが、直接飛行するのは危険と考えられ、翼を外せず鉄道輸送も出来ないため、専用のトレーラーを作って輸送した。悪天候により予定していた儀礼飛行は中止された[7]

パレードへ向けた試験飛行において、方向安定性が悪い、ピッチ軸の利きが悪い、エンジンの応答性が悪い、燃料容量が少ない、燃料流量不足、暖房や換気が無く窮屈なコックピット等数々の問題に直面した。これらの問題は改修によって改善されたが、全ては改善出来なかった。今度は横方向の安定性が強くなりすぎたり、昇降舵の制動力は悪すぎ、エンジンはプロトタイプだけで4度の交換が必要になったりとテストは難航した[8]

1947年4月に試験を終えた後、1機が工場に返却され改修を受けた。この機体はLa-150MЛа-150М)とされた。まず強すぎる横安定性を減らすため翼先端を下向きに35°傾けさせた(この改修はドイツHe 162と似る)。翼は取り外し可能に再設計し、昇降舵の空力バランスを24%から20%に減少させた。燃料容量は660kgに増やし、操縦席を80cm広げて防弾板を追加し、射出座席も装備した。通信機の空中線も新しく設置した。これらの変更により356kgの重量増加と空気抵抗の増加を招き、最高速度が873km/hから805km/hへ低下、上昇性能も5000mまでの到達時間が4.8分から7.2分に低下した。ラヴォーチキン設計局はより高性能な機体(La-152)の開発が採用試験段階に入っていたため、この機体のこれ以上の開発は不要と判断し、セミョーン・ラヴォーチキンはLa-150Mの開発中止を決定した[9]

その後アフターバーナー機能を有したRD-10エンジンが開発され、1947年6月にLa-150のエンジンをこれに換装した型が開発された。この型はLa-150FЛа-150Ф)と命名された。これにより最高速度は等価対気速度で950km/h、高度4,320mで915km/hに向上した。これはRD-21エンジン2基を装備したMiG-9の次に高速だった。しかし、ラヴォーチキン設計局は設計上の欠陥が依然として解決されていないため、軍の採用試験に提出する事はなかった[10]

諸元

La-150

出典: Early Soviet Jet Fighters[11]

諸元

  • 乗員: 1
  • 全長: 9.42m
  • 全高: 2.60m
  • 翼幅: 8.20m
  • 翼面積: 12.15m2
  • 空虚重量: 2,156kg
  • 動力: RD-10 ターボジェットエンジン、8.8 kN (1,984 lbf) × 1
  • 全備重量:2,973kg

性能

  • 最大速度: 878km/h
  • 航続距離: 493km
  • 実用上昇限度: 12,600m
  • 上昇率: 22.1m/s
  • 離陸滑走距離: m (ft)
  • 着陸滑走距離: m (ft)
  • 翼面荷重: 244.6 kg /m2
  • 推力重量比: 0.303

武装

  • 固定武装: NS-23 20mm機関砲 2門

出典

  1. Andreas Parsch、Aleksey V. Martynov (2008年). Designations of Soviet and Russian Military Aircraft and Missiles”. designation-systems.net. 2011年8月19日閲覧。
  2. Gunston 1995, p. 167.
  3. Gordon 2002, p. 102.
  4. Gordon 2002, pp. 102, 110.
  5. Gordon 2002, pp. 102, 104.
  6. Gordon 2002, pp. 104–105.
  7. Gordon 2002, p. 105.
  8. Gordon 2002, pp. 105–106
  9. Gordon 2002, pp. 105–106, 110.
  10. Gordon 2002, pp. 106–107, 109.
  11. Gordon 2002, p. 110.

参考文献

  • Yefim Gordon (2002). Early Soviet Jet Fighters. Hinckley, UK: Midland Publishing. ISBN 1-85780-139-3
  • Bill Gunston (1995). The Osprey Encyclopedia of Russian Aircraft 1875–1995. ロンドン: Osprey. ISBN 1-85532-405-9

関連項目

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