S4 (水雷艇)

水雷艇S4フィンランド語:Torpedovene S4)は、フィンランド水雷艇Torpedovene)である。元はロシア帝国海軍の所属艦艇で、フィンランドがロシア帝国から独立を果たすことになったロシア革命からフィンランド内戦にかけての動乱期にフィンランド独立派によって捕獲され、その海軍へ編入された。

ヴォーロン
レーズヴイ
水雷艇S4
ソーコル級水雷艇駆逐艦
ソーコル級水雷艇駆逐艦の概略図
艦歴
ヴォーロン
Ворон
起工1899年 ネーフスキイ造船・機械工場
進水1901年9月
竣工1902年10月
所属 ロシア帝国海軍バルト艦隊
レーズヴイ
Резвый
改称1914年8月29日
所属 ロシア帝国海軍バルト艦隊
臨時政府バルト艦隊
赤色バルト艦隊
フィンランド赤衛軍
水雷艇S4
Torpedovene S4
編入1918年4月13日
所属 フィンランド海軍
除籍1922年
水雷艇S6
Миноносец С6
編入1922年
所属 赤色バルト艦隊
除籍1925年11月21日
要目
艦種水雷艇艦隊水雷艇掃海艇通報艦
艦級ソーコル級S級
排水量290 t
全長58.1 m
全幅5.64 m
喫水1.65 m / 2.38 m(尾部)
動力機関 蒸気機関2 基
ヤーロウ4 缶
出力3800 馬力
スクリュー2 基
プロペラシャフト2 基
速力26.8 kn
航続距離600 nm/15 kn
乗員 士官4 名
水兵48 名
武装
(改修前)[1]
50口径75 mm単装
オチキス
1 門
47 mm単装砲3 門
381 mm単装水上
魚雷発射管
2 基
武装
(改修後)[2]
50口径75 mm単装砲
オチキス
2 門
7.62 mm単装機銃2 基
456 mm単装水上
魚雷発射管
2 基
  1. 竣工時の基本兵装。
  2. 1912年に実施された改修工事による装備の変更。

概要

前半生

S4は、ロシア帝国海軍向けに建造されたソーコル級水雷艇の9番艇として建造された。建造当初の名称は、ロシア語で「渡鴉」を意味するヴォーロンВоронヴォーラン)であった。1899年1月13日バルト艦隊に登録、サンクトペテルブルクネーフスキイ造船・機械工場で起工、同年8月31日には進水1902年5月にバルト艦隊へ配備された。配備に先立ち、3月22日(旧暦3月9日)付けで名称はレーズヴイРезвыйリェーズヴィイ)に変更された。これは、「活発な、腕白な」といった意味のロシア語の形容詞である。

1907年10月10日には、ソーコル級のような大型の航洋水雷艇は新たに設置された艦隊水雷艇(Эскадренный миноносец)に類別を変更された。これは、イギリスなどでいうところの駆逐艦(ロシア語では「Истребитель」という)に当たる艦種であった。1908年から1909年にかけて、レーズヴイはヘルシンキ「ソーコル」社の工場においてオーバーホールを受けた。1913年には、サンクトペテルブルクの「エクルント&Co」社の工場においてボイラー部品の交換と武装の変更が施工された。この際、搭載機関は完全に修繕され、掃海装備が追加された。また、搭載する旋回式水上魚雷発射管もより大口径のものに換装され、機関銃が追加された。

第一次世界大戦では戦場掃海任務に就き、前線での哨戒任務や輸送任務に従事した。1916年1月からは掃海分艦隊第2戦隊に編入され、掃海艇として使用された。

革命と内戦

1917年前期には、二月革命に参加した。所属は臨時政府バルト艦隊となった。同年秋に十月革命が発生すると、11月7日付けで赤軍の赤色バルト艦隊に編入された。赤軍はロシア内戦初期には優位に戦いを進めたが、ドイツ帝国フィンランド独立派が連合して反攻に転じると一挙に劣勢となった。1918年3月3日ブレスト=リトフスク条約ソヴィエト・ロシアの赤軍が撤退することになると、フィンランド湾にあったソヴィエト・ロシア艦艇は3月15日ソヴィエト・フィンランドへ譲渡された。

結局、これらの艦艇は内戦に勝利を収めたドイツ帝国軍フィンランド白衛軍によって奪取された。4月13日、白衛軍はそれらの艦艇をフィンランド海軍へ編入することを決定した。ヘルシンキで白衛軍に捕獲されていたレーズヴイは水雷艇に類別を戻され、水雷艇S4としてフィンランド海軍に配備された。S4は、他のソーコル級駆逐艦の4 隻および改スーンガリ級水雷艇の1 隻と合わせてS級水雷艇と呼ばれるようになった。

1920年にフィンランドとソヴィエト・ロシアとの間に締結されたタルトゥ条約に基づき、1922年にはS4はフィンランド海軍を除籍され、ソヴィエト・ロシア政府に引き渡された。S4はすっかり旧式化しており、再配備には及ばないと判断したソ連政府はS4の解体を決定した。S4は解体作業実施のため「コムゴスフォンドフ」に引き渡され、1925年11月21日付けで赤色海軍を除籍された。

関連項目

外部リンク

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