イニャキ・ウルダンガリン

イニャキ・ウルダンガリン・リエバエルトバスク語: Iñaki Urdangarin Liebaert, 1968年1月15日 - )はスペインの元男子ハンドボール選手。

イニャキ・ウルダンガリン
Iñaki Urdangarin
イニャキ・ウルダンガリン(2010年1月)
イニャキ・ウルダンガリン(2010年1月)
基本情報
本名 Iñaki Urdangarin Liebaert
イニャキ・ウルダンガリン・リエバエルト
スペインの旗 スペイン
出身地 スペインの旗 スペインバスク州ギプスコア県スマラガ
生年月日 (1968-01-15) 1968年1月15日(56歳)
身長・体重 197cm cm
99kg kg
利き腕
所属クラブ
クラブ
1986-2000 スペインの旗 FCバルセロナ
代表歴
 スペイン
イニャキ・ウルダンガリン
Iñaki Urdangarin Liebaert
パルマ・デ・マヨルカ公爵
在位 1997年 - 2015年

配偶者 クリスティナ王女
子女 フアン・バレンティン
パブロ・ニコラス
ミゲル
イレーネ
家名 ウルダンガリン家
父親 フアン・マリア・ウルダンガリン・ベリオチョア
母親 クレール・フランソワーズ・リーバルト・クールタン

略歴

獲得メダル
スペインの旗 スペイン
男子 ハンドボール
オリンピック
1996 アトランタ団体
2000 シドニー団体
スペイン王室



傍系王族

1968年10月5日、ギプスコア県スマラガバスク系の父フアン・マリア・ウルダンガリン・ベリオチョアベルギー系の母クレール・フランソワーズ・リーバルト・クールタンの間に生まれ、バルセロナで成長した。18歳の時にハンドボールのプロチームであるFCバルセロナに入団、2000年に現役引退するまでプレイを続けた。スペインのハンドボール界で最も成功した選手であり、40個以上のトロフィーを獲得している。また、ESADE経営学を学び修士号を取っている。

オリンピックにはバルセロナアトランタシドニーの3大会に出場、シドニー大会ではキャプテンを務めた。

アトランタ大会の際にスペイン王女クリスティナと出会い、それがきっかけとなって翌1997年10月4日にバルセロナで2人は結婚した。クリスティナ王女には1代限りのパルマ・デ・マヨルカ公爵の称号がフアン・カルロス1世より授けられた[1]ため、ウルダンガリンはパルマ・デ・マヨルカ女公爵の配偶者としてパルマ・デ・マヨルカ公爵(Duque consorte de Palma de Mallorca)と呼ばれた。

クリスティナとの間に3男1女を儲けた。

  • フアン・バレンティン(1999年 - )
  • パブロ・ニコラス(2000年 - )
  • ミゲル(2002年 - )
  • イレーネ(2005年 - )

2001年4月4日からスペインオリンピック委員会のメンバーになり、2004年2月16日には委員長代理に選ばれている。

2013年2月、会長を務めていた非営利団体を通じ地元政府から資金を不正に取得していた疑惑が浮上、捜査当局から聴取を受けた。また、妻のクリスティナ王女も共謀の疑いが持たれている[2]

同年11月4日、スペインの予備判事はウルダンガリンの資産の差し押さえを命じた[3]

2015年6月12日、クリスティナは弟のフェリペ6世からパルマ・デ・マヨルカ公爵位を剥奪されたため、ウルダンガリンもパルマ・デ・マヨルカ公爵とは呼ばれなくなった。

2017年2月17日、脱税などの罪で、スペインの裁判所から禁錮6年3カ月の有罪判決を受け[4][5]、翌年6月18日に刑務所に収監された[6]

2022年1月24日、クリスティナ王女との離婚が報じられた。ウルダンガリンが別の女性と手を繋いで歩いている写真記事が報道されてから1週間後のことであった。

脚注

イニャキ・ウルダンガリンの紋章
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