ジョバンニ・ニコラオ
来歴

ニコラオの影響が指摘される泰西王侯騎馬図
1583年、イエズス会から日本に派遣され、長崎のセミナリヨの画学舎[2][3]、島原、天草にて[4]、西洋絵画の技術である油彩画、フレスコ画、テンペラ画、銅版画などの技術指導を行った[5][3]。その後1614年(慶長19年)の禁教令によりマカオへ追放され[2]、1623年に没した[1]。
脚注
- “南蛮美術【なんばんびじゅつ】”. 百科事典マイペディア. コトバンク (2010年5月). 2016年7月15日閲覧。
- 橋本征治『海の回廊と文化の出会い: アジア・世界をつなぐ』関西大学出版部、2009年、151頁。
- “南蛮美術 なんばんびじゅつ”. 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンク. 2016年7月15日閲覧。
- 甲山堅『ザビエルコード II 北摂の聖ザビエルコードを解く』eブックランド、2009年11月1日、18頁。第一章 聖ザビエルのコード 三.重合する暗号 より。
- 林祐子 (2005年). “初期洋風画「聖母マリア十五玄義図」をめぐって —その受容と信心について—”. 通信教育部 サイバーキャンパス. 京都造形芸術大学. 2016年7月15日閲覧。
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