ダニー・カネル

ダニー・カネル(Danny Kanell 1973年11月21日- )はフロリダ州フォートローダーデール出身のアメリカンフットボール選手。NFLアリーナフットボールリーグでプレーした。ポジションはクォーターバック

ダニー・カネル
Danny Kanell
基本情報
ポジション クォーターバック
生年月日 (1973-11-21) 1973年11月21日(50歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州フォートローダーデール
身長: 6' 3" =約190.5cm
体重: 218 lb =約98.9kg
経歴
大学 フロリダ州立大学
NFLドラフト 1996年 / 4巡目全体130位
初出場年 1996年
初出場チーム ニューヨーク・ジャイアンツ
所属歴
ニューヨーク・ジャイアンツ(1996年-1998年)
アトランタ・ファルコンズ(1999年-2000年)
ニューヨーク・ドラゴンズ(2002年)(アリーナ
デンバー・ブロンコス(2003年-2004年)
NFL 通算成績
通算TD/INT 31回/34回
通算パス獲得ヤード 5,129ヤード
QBレイティング 69.1
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

経歴

プロ入りまで

フロリダ州立大学では4年間で45試合に出場しパス成功率62.2%、6,372ヤードを投げて57タッチダウン(大学記録)、26インターセプトの数字を残した。また1年次、2年次、4年次にひあオレンジボウルに、3年次にはシュガーボウルに出場している。大学4年次にはオールアメリカンにも選出された。

NFL

1996年NFLドラフト4巡目でニューヨーク・ジャイアンツに指名されて入団し、10月にはスタン・ホワイトに代わり第2QBに昇格[1]、11月3日のアリゾナ・カージナルス戦では負傷したデーブ・ブラウンをリリーフしパス27本中14本を成功、128ヤードを獲得、1タッチダウンをあげてチームは16-8で勝利した[2]。この年彼は4試合に途中出場した。1997年10月8日のアリゾナ・カージナルス戦で初先発を果たし[3]、10試合に先発出場、1,740ヤードを投げて、11タッチダウン、9インターセプトの成績を残した。先発した10試合を7勝2敗1分で終え[4]、チームにNFC東地区優勝をもたらした。プレーオフのミネソタ・バイキングス戦ではパス32本中16本成功、199ヤードを獲得、1タッチダウンをあげたが、ディフェンスが残り1分半で9点を失い、22-23で敗れた[4]

1998年、それまでリーグ最低年俸の21万6000ドルだった彼は、シーズン開幕前に3年950万ドルの契約を結んだ[5]。開幕から先発QBを任されたが3勝7敗となったところで[6]ケント・グレアムにポジションを奪われ、チームは残り6試合を5勝1敗とし8勝8敗で終えた。この年のカネルの成績は10試合に出場、パス299回中166回成功、1,603ヤード獲得、11タッチダウン、10インターセプトであった[7]

1999年2月、ジャイアンツはシーズンオフにニューオーリンズ・セインツからケリー・コリンズを獲得、サラリーキャップを空けるために彼はチームを解雇された[8]。3月、彼はかつてジャイアンツに入団したときのヘッドコーチ、ダン・リーブスがヘッドコーチを務めるアトランタ・ファルコンズと契約し、クリス・チャンドラーの控えQBとなった[7][9]。ファルコンズには2シーズン在籍し、先発2試合を含む8試合に出場し、パス200本中99本成功、1,117ヤードを獲得、6タッチダウン、9インターセプトであった。2000年シーズン終了後ファルコンズから解雇され新たな所属先を探すこととなった。

2002年、彼はアリーナフットボールリーグニューヨーク・ドラゴンズに加入[10]、1シーズンを過ごした。

2003年デンバー・ブロンコスの第3QBとなった彼はジェイク・プラマースティーブ・バーラインが故障したため2試合で先発出場を果たした。この年彼は103回のパスを投げて2タッチダウン、5インターセプトであった。2004年シーズンもプラマーの控えQBとしてチームに残留したがこの年は出場機会を与えられなかった。シーズン終了後、ブロンコスから解雇された後は、どのチームとも契約を果たせなかった。

野球選手として

高校3年の時にはミルウォーキー・ブルワーズからドラフトされ、大学でも野球を続けていた彼は大学1年次、2年次の2年間で28試合に出場した。大学3年次終了時点にはニューヨーク・ヤンキースからドラフト24巡目で指名されたがNFL選手を目指した。

アトランタ・ファルコンズを解雇された直後の2001年にはアトランティックリーグニューアーク・ベアーズ一塁手三塁手指名打者として1年間プレーした。彼はレジー・ジャクソンドン・マッティングリーにあこがれておりヤンキースでプレーすることを目標としていた[1]

家族

父親はマイアミ・ドルフィンズのチームドクターを務めた医師[11]

脚注

  1. KANELL ALWAYS HAS BEEN CLOSE TO STARDOM NOW HE HAS ANOTHER CHANCE AT THE TOP.(Sports)”. ロッキーマウンテン・ニュース (2003年10月22日). 2010年11月24日閲覧。
  2. Kanell Is at Ease As Hero, Or Backup”. ニューヨーク・タイムズ (1996年11月5日). 2010年11月24日閲覧。
  3. For Now, the Giants' Job Is Kanell's to Lose”. ニューヨーク・タイムズ (1997年10月9日). 2010年11月24日閲覧。
  4. Kanell Expecting A Hefty Raise”. ニューヨーク・タイムズ (1998年8月7日). 2010年11月24日閲覧。
  5. Just Deserts for Kanell: $9.5 Million for 3 Years”. ニューヨーク・タイムズ (1998年9月4日). 2010年11月24日閲覧。
  6. Fassel Found Kanell Lost His Composure”. ニューヨーク・タイムズ (1998年11月19日). 2010年11月24日閲覧。
  7. ATLANTA; Ex-Giant Kanell To Rejoin Reeves”. ニューヨーク・タイムズ (1999年3月5日). 2010年11月24日閲覧。
  8. With Kerry Collins Aboard, Giants Cut Kanell”. ニューヨーク・タイムズ (1999年2月19日). 2010年11月24日閲覧。
  9. Kanell Eyes Falcon Backup Job”. ニューヨーク・タイムズ (1999年2月19日). 2010年11月24日閲覧。
  10. PLUS: ARENA FOOTBALL; Kanell Rallies Team With 3 Touchdowns”. ニューヨーク・タイムズ (2002年3月25日). 2010年11月24日閲覧。
  11. Doctor Dad Dissects Kanell's Day in Sun”. ニューヨーク・タイムズ (1996年11月6日). 2010年11月24日閲覧。

外部リンク

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