ダンカン2世 (スコットランド王)
ダンカン2世(Duncun II, 1060年? - 1094年11月12日)は、スコットランド王(在位:1094年5月 - 1094年11月)。マルカム3世とフィン・アルネッソンの娘でオークニー伯シーガードの長男の未亡人イーンガボーグの子。エドワード、エドマンド、エドガー、エゼルレッド、アレグザンダー1世、イーディス(マティルダ)、メアリー、デイヴィッド1世の異母兄。
| ダンカン2世 Duncun II | |
|---|---|
| スコットランド国王 | |
![]() ダンカン2世(17世紀画、ホリールード宮殿蔵) | |
| 在位 | 1094年5月 - 1094年11月 |
| 出生 |
1060年? |
| 死去 |
1094年11月12日 |
| 埋葬 |
|
| 配偶者 | エセルリーダ・オブ・ノーサンブリア |
| 子女 | ウィリアム |
| 家名 | アサル家 |
| 王朝 | アサル朝 |
| 父親 | マルカム3世 |
| 母親 | イーンガボーグ |

ダンカン2世
生涯
1072年にイングランド王ウィリアム1世がスコットランドに侵攻し、父が敗れた時に人質としてロンドンに送られ、成人してもイングランドに留められた[1][2]。
1093年、父と異母弟エドワードがイングランド侵攻で反撃に遭い戦死、叔父のドナルド3世が王位簒奪すると、翌1094年5月にウィリアム1世の息子ウィリアム2世の援助を受け、ドナルド3世より王位を奪還するための軍を起こした。ダンカンはドナルド3世の軍を破り、王位についた[1][3]。
しかし、ダンカン2世のイングランド臣従の姿勢に重臣たちの反発は大きく、即位半年後の11月、ドナルド3世にメアンズ地方のモンダインズで暗殺され、遺体はダンファームリン・アビーに埋葬された。スコットランドは復位したドナルド3世とダンカン2世の異母弟エドマンドの共同統治になったが、1097年にダンカン2世の別の異母弟エドガーがイングランドの支援で挙兵、ドナルド3世とエドマンドを破り王位を奪った[1][4]。
脚注
- 松村、P211。
- 森、P46、トランター、P56。
- 森、P47 - P51、トランター、P56 - P59。
- 森、P51 - P52、トランター、P59 - P60。
参考文献
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