フランソワ・ステルシェル
フランソワ・ステルシェル(François Sterchele、1982年3月14日 – 2008年5月8日)は、ベルギー・リエージュ出身のサッカー選手。ベルギー代表だった。ポジションはフォワード。クラブ・ブルッヘに在籍していた2008年5月8日、自動車事故で死去した。イタリア系である。
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | François Sterchele | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1982年3月14日 | |||||
| 出身地 | リエージュ | |||||
| 没年月日 | 2008年5月8日(26歳没) | |||||
| 身長 | 185cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| 背番号 | 23(死去時) | |||||
| 利き足 | 右 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2003-2004 |
| 29 | (23) | |||
| 2004-2005 |
| 31 | (32) | |||
| 2005-2006 |
| 31 | (9) | |||
| 2006-2007 |
| 32 | (21) | |||
| 2007-2008 |
| 31 | (11) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 2007-2008 |
| 4 | (0) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
経歴
クラブ
リエージュ州にあるFCロンシンという小規模クラブでサッカーをはじめ、10歳の時にRFCリエージュの下部組織に移った。RFCリエージュには10年間在籍し、その後RFCウニオン・ラ・カラミンに移って3シーズンプレーした。2004年にベルギー・サードディヴィジョン(3部)のOHルーヴェンに移籍し、2004-05シーズンには21得点を挙げて得点ランキングの2位となった。プレーオフでは8得点を挙げ、ベルギー・セカンドディヴィジョン(2部)昇格に貢献した。
2005年にはジュピラー・リーグ(1部)のシャルルロワSCに移籍し、2005-06シーズンには31試合に出場して9得点を挙げ、ジャッキー・マタイセン監督の下でサッカー選手として飛躍した。2006年にはKFCジェルミナル・ベールスホットに移籍し、21得点を挙げてリーグ得点王に輝いた[1]。マルク・ブリス監督はステルシェルを「ずる賢く、素早く、知的な選手」と称えている[1]。2007年には恩師マタイセン監督が率いるクラブ・ブルッヘに移籍し、リーグデビュー戦となったRAECモンス戦で2得点を挙げた。その後も得点を重ね、最終節を前にしてチームトップの11得点を記録していた。
代表
2007年3月24日、UEFA EURO 2008予選のポルトガル戦でベルギー代表デビューした。6月2日のポルトガル戦、6月6日のフィンランド戦、10月13日のサッカーフィンランド戦にも出場し、国際Aマッチで計4キャップを記録した。2008年2月5日にはベルギー代表対スタンダール・リエージュの練習試合が行なわれ、この試合にも出場している。
突然の死
2008年5月7日にはアントウェルペンの友人宅に滞在し、Jurgen CavensやVicenzo Verhoevenに会ったとされている。N49号線をポルシェ・ケイマンで自宅に帰宅する途中、5月8日午前3時頃にアントウェルペンとクノッケの間に差し掛かったが、スピードの出しすぎで排水溝にタイヤを取られ、車の制御を失って街路樹に激突した[1]。単独事故であり、即死だった。26歳没。
数日後のシーズン最終節では、ジュピラー・リーグ全試合で選手が喪章を着けてプレーし、クラブ・ブルッヘの選手はステルシェルの背番号23を胸に入れた特別ユニフォームで試合に臨んだ。
死去後
クラブ・ブルッヘはステルシェルが着けていた背番号23を永久欠番とすることを決定した。試合中、クラブ・ブルッヘのサポーターは前半23分になるとステルシェルのチャントを歌っている。UEFAヨーロッパリーグで対戦していたバーミンガム・シティFC(イングランド)のサポーターもステルシェルに敬意を表し、セント・アンドルーズ・スタジアムでの対戦時に賛辞を贈った。クラブ・ブルッヘは毎年プレシーズンにコッパ・ステルシェルという親善大会を開催している。
脚注
- ベルギー代表のフランソワ・ステルシェルが交通事故死 AFP BB News、2008年5月9日
