ブラッド・ラドキー

ブラッド・ウィリアム・ラドキー(Brad William Radke、1972年10月27日 - )は、元メジャーリーグ、ミネソタ・ツインズの投手。アメリカ・ウィスコンシン州オークレア出身。右投げ右打ち。

ブラッド・ラドキー
Brad Radke
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ウィスコンシン州オークレア
生年月日 (1972-10-27) 1972年10月27日(51歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 8巡目、ミネソタ・ツインズ
初出場 1995年4月29日
最終出場 2006年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

1991年、ミネソタ・ツインズからドラフト8巡目で指名され契約。マイナー時代から制球力、巧守に定評があった[1]。1994年にAA級で12勝9敗・防御率2.66を記録し、MLBストライキが解除され迎えた1995年シーズン、球団は極端な先発投手不足に悩まされラドキーはAAA級を飛び越え開幕をメジャーで迎えた[1]。

4月29日にメジャーデビューを果たし、シーズン終了まで一度もマイナーに降格せず、デビュー戦以外の28試合を全て先発登板し、チーム最多の11勝を挙げた[1]。しかし、前半戦は打ち込まれ「早すぎた昇格」と批判され、32被本塁打は両リーグ最多で、14敗は球団新人ワースト記録となった[1]。1996年には開幕投手を務め、通算では9回務めるも、前年を上回る40被本塁打を記録し、2年連続で両リーグワーストとなった。

1997年は13試合に登板した時点で4勝5敗・防御率5.00だったが、6月7日から8月4日にかけて、12試合に先発し12連勝を記録。1950年以降では1968年のボブ・ギブソン、1971年のパット・ドブソンに次ぐ3人目の快挙となった[1]。最終的には20勝10敗、防御率3.87をマーク。サイ・ヤング賞の投票では、21勝7敗のロジャー・クレメンス、20勝4敗のランディ・ジョンソンに次ぐ3位だった。

1998年には初めてオールスターに出場したが、12勝14敗・防御率4.30・146奪三振と投球3部門すべての数字が前年より悪化。20勝は偶然だったという声もあったが[2]、翌1999年は開幕から2年前の投球に匹敵する安定した投球を続け[2]、防御率3.75と自己ベスト更新したが、12勝14敗と負け越した。

ラドキーは26歳と若く、複数年契約を結んでおり年俸はそれほど高くないため、1999年7月31日のトレード期限直前には移籍の噂が出るようになった[2]。 球団は年俸削減したいため、テリー・ライアンGMは条件次第ではありえると明言していた[2]。トレードは行われなかったが、ラドキー自身はチームに満足しており、移籍を強く拒んだ[2]。また、2001年にモントリオール・エクスポズとともにツインズが球団削減の候補となった際には地元ファンや政財界を巻き込んだ球団存続運動に先頭に立ち[3]、球団存続が決定。

2002年はチームが地区優勝を果たし、初のポストシーズンとなった。オークランド・アスレチックスとのディビジョンシリーズでは2勝を挙げた。アナハイム・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第4戦に登板したが、負け投手に。チームも1勝4敗で敗退。

2004年は11勝8敗・防御率3.48を記録し、防御率は自己最高となった。4年契約を満了し、シーズン終了後の10月28日に初のフリーエージェントとなったが、ツインズと残留を前提に話し合いを重ね[4]、12月8日に2年総額1,800万ドルで契約延長した[5]。

2006年は8月末に右肩を痛め戦列を離れたが、レギュラーシーズン最終週の9月末に復帰。結局12勝9敗、防御率4.32という成績でツインズの地区優勝に貢献した。同年12月19日に引退を発表した[6]。

12年間で2ケタ勝利を10回記録。通算10回の2ケタ勝利は、ジム・カート以来球団史上2人目。勝利数(148)と奪三振数(1467)は共に球団歴代5位である[7]。

詳細情報

年度別投手成績

年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
1995 MIN 292821011140--.440772181.019532470475401121075.321.34
1996 353530111160--.407973232.0231405724148101251154.461.24
1997 353541220100--.667989239.2238284813174111141033.871.19
1998 323251212140--.462904213.2238234319146311091024.301.32
1999 3333401121400.462910218.22392844011214097913.751.29
2000 3434411121600.429978226.2261275115141501191124.451.38
2001 3333623151100.577919226.0235242601013741105993.941.15
2002 21212109500.643490118.1124122007620064624.721.22
2003 3333311141000.583888212.1242322825120001111064.491.27
2004 343411011800.579901219.22292326161432092853.481.16
2005 313131391200.429831200.22143323171172098904.041.18
2006 282800012900.571689162.1197243231832087784.321.41
通算:12年 37837737101414813900.516102442451.0264332644512621467283123311504.221.26
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注

  1. 武田郁夫「ブラッド・ラドキー[ツインズ] 大リーグ被本塁打王からサイ・ヤング賞候補への「奇跡」」『月刊メジャー・リーグ』1997年11月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-11、42 - 43頁。
  2. 「MLB30球団マンスリー・リポート ミネソタ・ツインズ/復帰を遂げた元20勝投手ラドキー 引く手あまたも本人が移籍を拒否」『月刊メジャー・リーグ』1999年10月号、ベースボールマガジン社、1999年、雑誌 08625-10、92頁。
  3. 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、132頁頁。ISBN 978-4-331-51146-6。
  4. 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、98頁頁。ISBN 978-4-331-51093-3。
  5. “Radke signs two-year deal” (英語). MLB.com. 2008年9月3日閲覧。
  6. Associated Press (2006年12月20日). “Twins' Radke retires after 12 seasons” (英語). ESPN.com. 2009年1月14日閲覧。
  7. “Minnesota Twins Pitching Leaders” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年8月14日閲覧。

外部リンク

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