ケント・ハーベック

ケント・アレン・ハーベックKent Allen Hrbek, 1960年5月21日 - )は、MLBの元選手。ポジションは一塁手アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス出身。ニックネームは「Herbie」。

ケント・ハーベック
Kent Hrbek
1987年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミネソタ州ミネアポリス
生年月日 (1960-05-21) 1960年5月21日(63歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1978年 ドラフト17巡目
初出場 1981年8月24日
最終出場 1994年8月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

1978年MLBドラフトで地元のミネソタ・ツインズから17巡目に指名を受け入団。下位指名ながら早い時期に頭角を現し、1981年にA級で打率.379・27本塁打・111打点を記録し、低迷していたチーム事情もあって3階級特進でメジャー昇格。8月24日ニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビューし、延長12回に決勝点となる本塁打を放った。

新本拠地メトロドームが開場した1982年は開幕からメジャーに定着し、前半戦で打率.332・17本塁打・60打点を記録し、自身最初で最後のオールスターゲームに選出される。後半戦で失速したが、打率.301・23本塁打・92打点の好成績を残した。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではカル・リプケン・ジュニアに次ぐ2位に入った。1984年は打率.311・27本塁打、キャリアハイの107打点を記録し、低迷していたチームが終盤まで地区優勝争いを続ける原動力となり、MVPの投票でウィリー・ヘルナンデスに次ぐ2位に入った。

1987年はキャリアハイの34本塁打を記録し、チームの地区優勝に貢献。デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦でジャック・モリスから本塁打を放った。チームは4勝1敗でシリーズを制し22年ぶりのリーグ優勝を飾る。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは第6戦で満塁本塁打を放って勝利に貢献し、チームは4勝3敗でカージナルスを破りワシントン・セネタース時代の1924年以来、ミネアポリス移転後初のワールドチャンピオンに輝いた。

1988年はキャリアハイの打率.312を記録する。1989年は故障で109試合の出場に留まり、レギュラー定着以後初めて規定打席に到達できなかった。

1991年は20本塁打・89打点を記録し、チームは前年の地区最下位から地区優勝。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.143と不振だったが、チームは4勝1敗でシリーズを制し、4年ぶりのリーグ優勝。アトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでは第1戦で本塁打を放ったが、その後は不調。3勝3敗で迎えた第7戦では0-0の同点で迎えた8回に1死満塁のピンチを迎えるが、一塁ゴロを捌いたハーベックの素晴らしい処理で3-2-3の併殺を完成させ、ピンチを切り抜けた。試合はそのまま延長戦となり、10回にサヨナラで勝利を収め、ワールドチャンピオンとなった。同年ルー・ゲーリッグ賞を受賞。以後は故障がちとなり、1994年から1995年のMLBストライキによってシーズンが打ち切られた1994年に34歳で現役を引退。

ハーベックの背番号「14」。
ミネソタ・ツインズの永久欠番1995年指定。

通算293本塁打は、球団[1]史上ハーモン・キルブルーの559本[2]に次いで現在でも歴代2位である。1995年に現役時代の背番号14』がツインズの永久欠番に指定された。

地元出身ということもあり、チームメイトのカービー・パケットと並んでファンから熱烈な人気を集めた。ゴールドグラブ賞の獲得こそなかったものの守備力にも優れ、新人時の監督ビリー・ガードナーは「私が27年間見た中で(一塁手としては)最高の守備の名手」と称えた。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1981 MIN 247367516501247000051190.239.301.358.659
1982 1405915328216021423258923114541208017.301.363.485.848
1983 141582515751534151625284460757537112.297.366.489.855
1984 14963555980174313272921071116651548717.311.383.522.905
1985 1586665937816531221263931104671228712.278.351.444.795
1986 149634550851472712926391220771968115.267.353.478.831
1987 1435664778513620134260905205841206013.285.389.545.934
1988 14358651075159310252657603276770549.312.387.520.907
1989 10943437559102170251948430145341356.272.360.517.877
1990 143578492611412602223379522869874517.287.377.474.851
1991 132534462721312012021389443267404815.284.373.461.834
1992 11247039452962001516158522371905612.244.357.409.766
1993 12347139260951112518383423471615712.242.357.467.824
1994 813172743474110101155300053761288.270.353.420.773
通算:14年 174771376192903174931218293297610863726156683811026798165.282.367.481.848

獲得タイトル・表彰・記録

脚注

  1. 1960年までのワシントン・セネタース時代を含む。
  2. キルブルーは他にカンザスシティ・ロイヤルズ在籍時に14本を記録しており、通算573本。

外部リンク

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