ポール・スプリットオフ

ポール・ウィリアム・スプリットオフ・ジュニア(Paul William Splittorff Jr.、1946年10月8日 - 2011年5月25日[1])は、メジャーリーグ昇格から引退までカンザスシティ・ロイヤルズに在籍したアメリカ合衆国・インディアナ州エバンズビル出身の投手。身長191cm(6フィート3インチ)、左投左打。

ポール・スプリットオフ
Paul Splittorff
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州エバンズビル
生年月日 (1946-10-08) 1946年10月8日
没年月日 (2011-05-25) 2011年5月25日(64歳没)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1968年
初出場 1970年9月23日
最終出場 1984年6月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

生い立ち

インディアナ州エバンズビルで生まれ、主にイリノイ州アーリントンハイツで育った[1]。デルタ・シグマ・ファイ・フラタニティのメンバーだったアイオワ州スーシティのモーニングサイド・カレッジ在学中、1968年メジャーリーグドラフト会議の25周目でロイヤルズに指名された。ロイヤルズがメジャーリーグ球団となる前年の1968年にコーニング・ロイヤルズで登板し、ロイヤルズという球団組織の歴史上初めてピッチングした投手という栄誉に浴している。1970年9月にメジャー昇格を果たす前の3シーズン、ロイヤルズのファームであげた通算成績は28勝27敗、防御率4.01。メジャーデビューはシカゴ・ホワイトソックス戦で、7イニングを投げて自責点となる3失点を喫し敗戦投手となった[2]。

メジャー昇格後

1971年のシーズンはAAA級のオマハ・ロイヤルズでのスタートとなったが、開幕8試合で5勝2敗・防御率1.48の成績をあげると、再びメジャーからお呼びが掛かる。そのシーズンは最後までカンザスシティに留まり、8勝9敗・防御率2.68の成績を残した。

その後はカンザスシティのローテーションに定着し、1973年には20勝11敗・防御率3.98と現役生活で唯一となる20勝をあげた。1973年4月10日、カウフマン・スタジアム(当時はロイヤルズ・スタジアムと呼ばれていた)で開幕投手を務め、テキサス・レンジャーズに12対1と快勝した。チームはスプリットオフのメジャー昇格後5シーズン中3シーズン迄もがオークランド・アスレチックスの後塵を拝し2位に甘んじていたが、1976年にはアメリカンリーグ西地区チャンピオンに浮上した。

カンザスシティは1976年から1978年まで3年連続でアメリカンリーグのリーグチャンピオンシップシリーズでニューヨーク・ヤンキースと対戦し、3回とも苦杯を嘗める結果に終った。スプリットオフはこの間ヤンキース相手に5回登板し、2勝0敗・防御率2.84という成績を残した。次の1979年は両チームともプレーオフ進出を逃し、翌1980年、ロイヤルズとヤンキースは再びアメリカンリーグ・チャンピオンシップシリーズでポストシーズンの覇を競う事となった。ロイヤルズはシリーズを3勝0敗で圧勝した。スプリットオフはシリーズ制覇を決定付ける第3試合に先発し、チームは勝利を収めたが彼自身は勝利投手の権利は得られなかった[3]。続くワールドシリーズでは、ロイヤルズはフィラデルフィア・フィリーズに2勝4敗で破れた。スプリットオフは最後の6戦目のみに3番手として登板し勝敗はつかなかった[4]。

常にスティーブ・バスビー、デニス・レナード、ラリー・グラといったチームメイトたちの陰に隠れ、オールスターゲームとも無縁であったが、堅実で選手生命の長かったスプリットオフは彼らより多くの勝利を積み重ね、ロイヤルズでの15年間で通算166勝を挙げた。

ロイヤルズが多くの実力ある若いピッチャーを抱えるようになった中、衰えの隠せなくなったスプリットオフは引退する。最後の登板は1984年6月26日であった。

現役引退後

引退後はロイヤルズ専属のテレビスポーツ解説者となった。1987年、ロイヤルズ殿堂入り[5]。またビッグ・エイト・カンファレンス及びビッグ12カレッジバスケットボールのテレビ放映の解説者を務めた。

2011年5月16日、スプリットオフの口腔癌及び悪性黒色腫との闘病が明らかにされた[6]。その9日後の5月25日の朝、ミズーリ州ブルースプリングスの自宅で息を引き取った。64歳であった[7]。

詳細情報

年度別投手成績

年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
1970 KC 2100--010--.000468.21615001000977.272.42
1971 222263--890--.471583144.112943514801049432.681.14
1972 3533122--12120--.500876216.01891167241406081753.131.19
1973 3838123--20110--.6451119262.0279197875110911351163.981.36
1974 363681--13190--.406985226.025223758190111221034.101.45
1975 352363--9101--.474682159.01561056101766075563.171.33
1976 262351--1180--.579686158.2169115903594179703.971.44
1977 373762--1660--.727980229.02431183229950104943.691.42
1978 3938132--19130--.5941069262.02442260237630113993.401.16
1979 3635110--15170--.469102624.024825771577101371134.241.35
1980 343340--14110--.560861204.02361743115310101944.151.37
1981 211510--550--.50041999.0111122341480248484.361.35
1982 292800--10100--.500692162.0166145713741083774.281.38
1983 272740--1380--.619667156.015995221613077633.631.35
1984 12300--130--.25013828.0473100040030247.712.04
通算:15年 4293928817--1661431--.537108292554.2264419278041341057415124310823.811.34

脚注

  1. Bruce Weber (2011年5月25日). “Paul Splittorff, Royals’ Biggest Winner, Dies at 64”. ニューヨーク・タイムズ. 2013年3月23日閲覧。
  2. “Chicago White Sox 6, Kansas City Royals 0”. Baseball-Reference.com (1970年9月23日). 2013年3月23日閲覧。
  3. “1980 American League Championship Series, Game Three”. Baseball-Reference.com (1980年10月10日). 2013年3月23日閲覧。
  4. “1980 World Series, Game Six”. Baseball-Reference.com (1980年10月21日). 2013年3月23日閲覧。
  5. “Hall of Fame: Paul Splittorff”. kansascity.royals.mlb.com. 2013年3月23日閲覧。
  6. Kaegel, Dick (2011年5月16日). “Royals broadcaster Splittorff admitted to hospital: Former big league pitcher battling oral cancer and melanoma”. kansascity.royals.mlb.com. 2013年3月23日閲覧。
  7. Lacques, Gabe (2011年5月25日). “Daily Pitch: Royals legend Paul Splittorff dies at 64”. USAトゥデイ. 2013年3月23日閲覧。

外部リンク

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