ロジャイェ
ロジャイェ(モンテネグロ語:Rožaje / Рожаје)は、モンテネグロ北東部の町、およびそれを中心としたオプシュティナ(基礎自治体)である。2003年国勢調査の時点で、自治体の人口は22,693人、町の人口は9121人であった。 サンジャク地方に位置し、ボシュニャク人やムスリム人を自認するムスリムの住民が多く住む。
| ロジャイェ Rožaje / Рожаје | |||
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| 位置 | |||
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| 座標 : 北緯42度50分 東経20度11分 | |||
| 行政 | |||
| 国 | |||
| 市 | ロジャイェ | ||
| 市長 | ヌスレト・カラチュ(DPS) | ||
| 地理 | |||
| 面積 | |||
| 市域 | 432 km2 | ||
| 人口 | |||
| 人口 | (2003年現在) | ||
| 市域 | 22,693人 | ||
| 人口密度 | 80人/km2 | ||
| 市街地 | 9,121人 | ||
| その他 | |||
| 等時帯 | CET (UTC+1) | ||
| 夏時間 | CEST (UTC+2) | ||
歴史
ロジャイェが歴史上に初めて登場するのは、1571年から1585年にかけてのことである。1797年には、クチ氏族に属し、オスマン帝国を支持するムスリムによって、帝国の防衛のためガニチの塔が築かれた。バルカン戦争後の1912年にモンテネグロ領に編入される。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1992年には、ボスニア・ヘルツェゴビナのフォチャからボシュニャク人が逃れこんできた[1]。また、コソボ紛争中の1999年にも1000人ほどのアルバニア人がロジャイェの南に住み着いた。
人口
ロジャイェ自治体の人口は2万2693人であり、うち9121人がロジャイェの町に暮らす。また、モンテネグロにおけるボシュニャク人の中心都市とも見做されており、総人口の過半数を占める。
- 人口推移
- 1981年3月3日 - 7336人
- 1991年3月3日 - 8828人
- 2003年11月1日 - 9121人
交通
モンテネグロとセルビアとを結ぶ幹線道路、ロジャイェ=クラ=ペーチ道に面し、ノヴィ・パザルやセルビア中央部と繋がっている。また、30kmほどの所に位置するモンテネグロのベラネとも2車線の幹線道路が通っている。
ポドゴリツァ空港とは180kmほどの距離がある。
脚注
- Human Rights Watch, 2006-Genocide, war crimes, and crimes against humanity: a topical digest of the case law of the International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia
外部リンク
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