ロン・ダーリング

ロナルド・モーリス・ダーリングRonald Maurice Darling, 1960年8月19日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身の元プロ野球選手投手)。

ロン・ダーリング
Ron Darling
2009年8月3日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ハワイ州オアフ島ホノルル
生年月日 (1960-08-19) 1960年8月19日(63歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1981年 ドラフト1巡目
初出場 1983年9月6日
最終出場 1995年8月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

フランス系カナダ人の父親と中国系の母親の間に生まれる。その為英語の他にフランス語中国語も母国語並に話せる。名門イェール大学[1]に進学し、東南アジアの歴史を専攻する。1981年ドラフトテキサス・レンジャーズから1巡目(全体9位)に指名を受け入団。1982年4月1日リー・マジーリとの交換トレードで、ウォルト・テレルと共にニューヨーク・メッツに移籍。

メッツ時代

1983年9月6日フィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビュー。5試合に先発して1勝3敗・防御率2.80を記録。

1984年開幕から先発ローテーション入りし、6月4日から7月6日にかけて7連勝を記録するなど前半戦で10勝を挙げる。後半戦は2勝に留まったが、12勝9敗・防御率3.81の成績を残し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では5位に入った。

1985年は前半戦で9勝を挙げ、自身最初で最後のオールスターゲームに選出される。リーグワーストの114四球を与えたが、16勝6敗・防御率2.90を記録した。

1986年は開幕6連勝を記録するなど15勝6敗・防御率2.81の成績でチームの地区優勝に貢献。ヒューストン・アストロズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し勝敗は付かなかったが、チームはリーグ優勝を果たす。ボストン・レッドソックスとのワールドシリーズでは第1戦に先発し、7回1失点(自責点0)と好投するが援護がなく敗戦投手。第4戦では7回無失点で勝利投手。第7戦は4回途中で降板したがチームは勝利し、17年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。サイ・ヤング賞の投票では5位に入った。

1987年は不調で前半戦は4勝に留まるが、後半戦は6連勝を含む8勝を挙げ、12勝8敗・防御率4.29を記録。

1988年は自己最多の17勝を挙げ、チームも地区優勝。ロサンゼルス・ドジャースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第4戦と第7戦で先発。第7戦では2回途中6失点で降板して敗戦投手となり、チームも3勝4敗で敗退した。

1989年は14勝14敗・防御率3.52を記録し、初のゴールドグラブ賞を受賞。

1990年はリリーフに回るなど7勝9敗・防御率4.50に終わった。

エクスポズ時代

1991年7月15日ティム・バークとの交換トレードで1選手と共にモントリオール・エクスポズに移籍。移籍後は3試合に先発したが0勝2敗・防御率7.41と振るわなかった。

アスレチックス時代

1991年7月31日に2選手との交換トレードでオークランド・アスレチックスに移籍。メッツ時代のチームメイトでキャプテンだったキース・ヘルナンデスに敬意を払い、ヘルナンデスのメッツ時代の背番号「17」を付けてプレイした[2]。移籍後は3連勝を記録したが、その後7連敗を喫し、シーズン通算で8勝15敗・防御率4.26に終わった。

1992年は後半戦で防御率2.90と調子を上げて15勝10敗・防御率3.66と復活し、チームの地区優勝に貢献。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発したが、6回3失点(自責点2)で敗戦投手となり、チームも2勝4敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなるが再契約。

1993年は5勝9敗・防御率5.16に留まる。

1994年は序盤不調も6月26日から7月27日にかけて6連勝を記録するなど7月までに10勝を挙げるが、1994年から1995年のMLBストライキ8月11日を最後にシーズンが打ち切られ、10勝11敗・防御率4.50の成績だった。

1995年は4勝7敗・防御率6.23と振るわず8月21日に解雇され、現役引退。

引退後

現在はメッツ専属のブロードキャスターを務める。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1983 NYM 55100130--.25014835.13101713233211112.801.36
1984 33332201290--.571884205.217917104251367197873.811.38
1985 36354201660--.7271043248.021421114131677193802.901.32
1986 34344221560--.714967237.02032181231847384742.811.20
1987 32322001280--.600891207.218324963316763111994.291.34
1988 34347411790--.654971240.22182460251617297873.251.16
1989 333340114140--.500922217.1214197073153124100853.521.31
1990 3318100790--.438554126.0135204445995173634.501.42
1991 1717000560--.455427102.19692816589450443.871.21
MON 33000020--.0008117.0256501114016147.411.76
OAK 1212000370--.30031975.06473822603134344.081.36
'91計 32320008150--.348827194.1185227139129165100924.261.32
1992 333343015100--.600866206.11981572549913098843.661.31
1993 3129300590--.357793178.019822725595311071025.161.52
1994 252540010110--.476682160.01621859371086189804.501.38
1995 2121100470--.364484104.0124164624695079726.231.63
MLB:13年 382364371341361160--.540100322360.12244239906405915909724113910163.871.33
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし

表彰

  • ゴールドグラブ賞 1回:1989年

記録

背番号

  • 44(1983年 - 1984年)
  • 12(1985年 - 1989年)
  • 15(1989年 - 1991年)
  • 17(1991年 - 1995年)

脚注

  1. イェール大学はハーバード大学プリンストン大学と共に「BIG3」と呼ばれる名門中の名門だが、メジャーリーガーは少なく、ダーリングの後は2005年にメジャーデビューしたクレイグ・ブレスロウまで現れなかった。
  2. メッツ時代のチームメイトだったボブ・オヘーダロジャー・マクダウエルもそれぞれ移籍後の球団では同様に「17」をつけてプレイした。

関連項目

外部リンク

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