三宅則義
経歴
愛知県出身[2]。1923年日本大学商学部卒[2]。計理士、税理士、司法書士の業務に就く[2]。全日本計理士協会理事、日大学士会理事長、東京都立第五実業学校高等科講師、日大講師、日本監査協会理事長、東京税理士会副会長、日本税理士会常務理事、全国計理士会議長を務める[2]。
1943年の東京都発足直後の東京都会議員選挙に立候補したが[3]、落選した。1946年の第22回衆議院議員総選挙で愛知2区(大選挙区)から日本自由党公認で立候補するが次点で落選[4]。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において愛知4区から日本自由党公認で立候補するも落選[5]。1949年の第24回衆議院議員総選挙で民主自由党から立候補して当選した[5]。この間民主党政調会決算部長、総務委員を務めた[2]。1952年の第25回衆議院議員総選挙で落選[5]。1955年の第27回衆議院議員総選挙で日本民主党から立候補して落選した[5]。
著作
- 『三宅会計学講義 : 誰れにも、わかる実際と応用』東京泰文社、1934年。
脚注
- 『大衆人事録』第19版、東京篇、帝国秘密探偵社、793頁。
- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』619頁。
- 『朝日新聞』1943年9月8日2面、「都会議員立候補者一覧表」。
- 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』148~149頁。
- 『朝日選挙大観』513頁。
参考文献
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