下川駅 (京都府)
下川駅(しもかわえき)は、かつて京都府福知山市漆端(うるしがはな)にあった北丹鉄道の駅(廃駅)である。
| 下川駅 | |
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しもかわ SHIMOKAWA | |
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| 所在地 | 京都府福知山市漆端 |
| 所属事業者 | 北丹鉄道 |
| 所属路線 | 北丹鉄道線 |
| キロ程 | 4.5 km(福知山起点) |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 1面1線 |
| 開業年月日 | 1948年(昭和23年)2月20日 |
| 廃止年月日 | 1974年(昭和49年)2月28日* |
| 備考 | 無人駅 |
歴史
当駅は、沿線住民の要望によって設置された駅である。1923年(大正11年)の北丹鉄道開業当初、漆端地区には駅がなく、最寄り駅は1キロメートルほど離れた上天津駅であった[1]。地区住民が自分たちの手でホームを造ることを条件に北丹鉄道に要望したことにより、当駅の設置が実現[1]。山から土を運び、3か月ほどかけて約100メートルのホームを整備した[1]。駅は1948年(昭和23年)の開業である[2]。
漆端地区は由良川の水害を受けやすい地域であったため、由良川が洪水になると列車がよく止まっていた[1]。福知山西駅と当駅の間には線路が由良川の堤防より内側、河川敷に敷かれている区間があり、少しの増水でも線路が水没していた[3][4]。
北丹鉄道は1971年(昭和46年)3月に営業を休止し、そのまま1974年(昭和49年)2月末に廃止許可[5]、当駅もこの時廃止された[6]。
駅周辺
周辺は田園地帯。南側には漆端地区の集落がある。駅の痕跡は残っていない[9]。
当駅から上天津駅までの線路跡は整備されて福知山市道広小路勅使線となっている[1]。上天津駅との間には牧川が流れていて、北丹鉄道では最長の牧川橋梁(約100メートル)が架けられていたが[1][10]、河川は改修され橋梁の跡も残っていない[11]。
脚注
- “草むらの中走った北丹鉄道 廃止から30年 今でも多くの人の心の中に”. WEB両丹. 両丹日日新聞. 2018年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月4日閲覧。
- 北丹鉄道の歴史, p. 25.
- 山本 2000, p. 19.
- 寺田 2010, p. 46.
- 寺田 2010, p. 45.
- 今尾 2008, p. 42.
- 寺田 2010, p. 43.
- 京都大学鉄道研究会 1969.
- 新・鉄道廃線跡を歩く, p. 47.
- 山本 2000, p. 6.
- 吉田 1998, p. 151.
参考文献
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 9 関西2、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790027-2。
- 今尾恵介(編著)『新・鉄道廃線跡を歩く』 4(近畿・中国編)、JTBパブリッシング、2010年。ISBN 978-4-533-07861-3。
- 京都大学鉄道研究会「北丹鉄道」『鉄道ピクトリアル』第19巻12月臨時増刊号(通巻232号)、鉄道図書刊行会、1969年12月、64-71頁、ISSN 0040-4047。(再録:『私鉄車両めぐり 関西』鉄道図書刊行会〈鉄道ピクトリアル別冊 鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 19〉、2010年、73-83頁。全国書誌番号:21848519。)
- 寺田裕一『新 消えた轍 ―ローカル私鉄廃線跡探訪―』 8 近畿、ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2010年。ISBN 978-4-7770-1075-2。
- 福知山市開発公社 編『北丹鉄道の歴史』福知山市開発公社、1988年。全国書誌番号:89020349。
- 山本武男『北丹鉄道 ―河川敷に消えた小鉄道―』ネコ・パブリッシング〈RM LIBRARY 14〉、2000年。ISBN 978-4873662091。
- 吉田恭一『地形図で辿る廃線跡 古地図とともにいまはなき鉄道を歩く』心交社、1998年。ISBN 4-88302-345-1。
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