城南町 (会津若松市)
城南町(じょうなんまち)は、福島県会津若松市の町。郵便番号は965-0809。
城南町 | |
|---|---|
![]() 城南町南部 | |
![]() 城南町 | |
| 北緯37度29分6.8秒 東経139度55分45.8秒 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 地域 | 若松地域 |
| 人口 | |
| • 合計 | 436人 |
| 等時帯 | UTC+9 (JST) |
| 郵便番号 |
965-0809 |
| 市外局番 | 0242[2] |
| ナンバープレート | 会津 |
地理
会津盆地南東部に位置する会津地方の中心都市、会津若松市の北西部に位置する。周囲の地域とともに阿賀川の支流、湯川などやその支流により形成された扇状地上に発達した会津若松市の中心市街地を形作る。東は城東町、西は米代、南花畑、南は南町、北は追手町に接する。
歴史

中世、近世
1384年、小田垣に蘆名直盛が東黒川館を築いた。これがのちに黒川城、小田垣城と言われるようになる。その後、伊達政宗の入城などを経たのち、蒲生氏郷により黒川が若松と改められ、1593年には城の改築をはじめた。これによって完成したのが天守(七層)、馬出、櫓などを備える城で、この際に内外の郭もつくられた。また、1640年、加藤明成は城の追手を北にしたほか、天守を五層に改めた[4]。
江戸時代、現在の城南町周辺には、権現下郭(ごんげんしたぐるわ)、南町分などがあった。このうち、権現下郭は二ノ丸の南側に位置し、士屋敷、米蔵、寺院、神社などがあったとされる。また、町名の由来である熊野権現神社の近くには番所が置かれていた[5]。
近代
明治時代に入ると、民生取締所、民生局による統治を経て、1870年に若松県が置かれたほか、江戸時代からの若松城下の町は再編され、本丁、米代、小田垣、横道、権現下郭に加えて、小田町、半兵衛町のそれぞれ一部(加えて外小田垣を含むともされる)が合わさり、若松栄町となった。栄町の町名は、戊辰戦争により周辺の地域が大きな被害を受けたため、以後栄えることを願い付けられたものされている[7]。若松県庁が城内に置かれていた時期があったほか、1875年、新政府の方針により若松城は取り壊されている[6]。また、1877年に若松栄町、南町分、千石町分、石上分、材木町分のそれぞれ一部により、若松南町ができる[8]。
その後、1877年に旧来の福島県、磐前県、若松県が合併されて福島県となったことから若松県は廃止されたほか、1889年に町村制の施行によりそれぞれ若松町内の町名となる。1889年、合わせて若松栄町、若松南町はそれぞれ栄町、南町の町名となり、1899年には若松町の市制施行により若松市の町名となる[7]。
交通
路線バス等の系統
- 市内1コース
- 市内2コース
- 市内3コース
- 市内4コース
- 市内5コース
- 市内6コース
- 芦の牧線
- 原長谷川線
- 塩川・喜多方線
- 熊倉・喜多方線
- 笈川線
- 年貢町経由永井野線
- リズム線
施設
- 会津信用金庫南支店
神社、寺院、史跡、観光地
- 若松城(鶴ヶ城) - 北側に接する。
脚注
- “会津若松市の住基人口(平成29年8月1日現在)”. 会津若松市 (2017年8月3日). 2017年8月9日閲覧。
- “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- 角川日本地名大辞典 7 福島県 p909, 1983
- 角川日本地名大辞典 7 福島県 p865, 1983
- 角川日本地名大辞典 7 福島県 pp379-380, 1983
- 角川日本地名大辞典 7 福島県 pp901-906, 1983
- 角川日本地名大辞典 7 福島県 p385, 1983
- 角川日本地名大辞典 7 福島県 p775, 1983
- 角川日本地名大辞典 7 福島県 p164, 1983
- 会津バス - 路線図


