季友
生涯
公室の柱石
魯(現:中国山東省南部)の第15代君主桓公の四男として生を受け、嫡兄で第16代君主荘公の重臣となり、他の兄弟の慶父(共仲)・叔牙(僖叔)と共に代々三桓氏として魯の実権を握った。
季友の名は、誕生時、掌線に(篆書の)「友」の字が見えたことに由来する。更に、その際の占いで「公室の柱石を担う人で、彼がいなければ魯は栄えない」と極言される。
存命中の前669年・前667年に母の故郷である陳を訪問し、親交を深める。また、前662年には、三兄の叔牙が、当時危篤だった荘公の後継として次兄の慶父を擁立する動きを見せたのに対し、季友は叔牙に毒の入った酒を盛って自害に追い込み、自らの地位を確立した。
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