安田秀之

安田 秀之(やすだ ひでゆき、1967年5月26日[1] - )は、愛知県尾西市(現・一宮市)出身の元プロ野球選手外野手内野手捕手[1]

安田 秀之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県尾西市(現・一宮市
生年月日 (1967-05-26) 1967年5月26日(56歳)
身長
体重
190 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手捕手
プロ入り 1985年 ドラフト6位
初出場 1989年10月18日
最終出場 1998年5月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

現在は中日ドラゴンズスコアラーパ・リーグ担当)を務めている。

来歴・人物

プロ入り前

1983年享栄高校へ入学。2学年上に藤王康晴(元中日ドラゴンズなど)、1学年下に近藤真市長谷部裕のバッテリー(ともに元中日)がいた。藤王ら3年生の抜けた1年秋の新チームから4番を託され[2]、2年時に夏の甲子園に出場した。1回戦からKKコンビPL学園と対戦し敗退。高校時代通算で47本塁打を記録している[1]

1985年のプロ野球ドラフト会議南海ホークスから6位指名を受け入団[1]

プロ入り後

プロ4年目の1989年に一軍初出場を果たす。1990年オフに田淵幸一監督の指示で内野手から捕手に転向。1991年は1A・サリナス・スパーズに野球留学した。大型野手として期待されたが、なかなか一軍で出場機会はなく、1995年オフに武田一浩松田慎司との交換トレードで下柳剛とともに日本ハムファイターズへ移籍。

移籍1年目に自己最多の59試合に出場。移籍後は捕手から内・外野手にコンバートされ、特に相手が左投手先発時には右翼手・一塁手でスタメン出場する機会が増え自己最多の3本塁打を放つ。8月25日のロッテ戦では代打サヨナラ犠飛を打った[3]

1997年は落合博満の守備固めとして登場することが多く、45打席ながら自己最多の70試合に出場する。しかし、シーズン終盤に二軍で本塁打王を獲得した西浦克拓が台頭し、ともに右打者で主に一塁と外野を守ることから、安田とはタイプが重なってしまったこともあり戦力外通告を受ける。

オフに地元の中日ドラゴンズのテストに合格し入団。1998年広島市民球場でのレギュラーシーズン開幕戦では、相手先発投手が左腕の大野豊であり先発メンバー入りを果たした。2軍の公式戦で1イニングのみであるが、投手として出場したこともあった。2000年に現役引退。

引退後

引退後は中日の打撃投手を務め、現在は同球団のスコアラーを務めている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1989 ダイエー 2661430073000000000.667.6671.1671.833
1990 1525221520072001010191.227.292.318.610
1991 163331461021350100200100.194.242.419.662
1992 434944982021661130200122.182.217.364.581
1994 2859583143012021000100231.241.254.345.599
1995 213535192101330000000101.257.257.371.629
1996 日本ハム 5911810392550339140032901321.243.304.379.683
1997 7045434104001420000101151.233.267.326.592
1998 中日 20433877100801000500130.184.279.211.490
通算:9年 2744133803988231813737327221031247.232.276.361.636

年度別守備成績

年度試合企図数許盗塁盗塁刺阻止率
19911250.000
19922220911.550
19942522193.136
19951815132.133
通算 774616.258


記録

背番号

  • 53 (1986年 - 1990年)
  • 45 (1991年 - 1994年)
  • 22 (1995年)
  • 33 (1996年 - 1997年)
  • 55 (1998年 - 2000年)
  • 117 (2001年 - 2002年)

脚注

  1. 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P128。
  2. 桑田を打ち砕くことを期待された、享栄の「藤王二世」。『KK、戦慄の記憶。』より プロ野球コラム
  3. 1997ベースボールレコードブック ベースボールマガジン社

関連項目

外部リンク

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