宝光院 (松戸市)

宝光院(ほうこういん)は、千葉県松戸市にある真言宗豊山派の寺院[1]。詳名は梅牛山宝光院林泉寺。江戸時代の剣豪千葉周作ゆかりの寺。松戸四国八十八ヶ所弘法大師霊場でお遍路体験ができる寺として知られる[1]1935年(昭和10年)に京成電鉄と沿線の寺院によって開創された東三十三ヶ所観音霊場の第12番札所でもある[2][3]

宝光院


宝光院本堂(2019年7月28日撮影)

地図
所在地 千葉県松戸市松戸1842 
位置 北緯35度46分59.2秒 東経139度53分47.5秒
山号 梅牛山
宗旨 真言宗豊山派
本尊 不動明王
創建年 不明
札所等 四国八十八ヵ所御砂踏み霊場、東三十三ヶ所観音霊場 第12番札所
法人番号 4040005005103

歴史

松戸村(現在の松戸市)に寺院が建立され始めるのは1609年慶長14年)ころからで、集落として体裁が整った慶安1651年頃までには宝光院含め七カ寺院が次々と建立された[4]1855年(安政2年)10月2日安政江戸地震にて本堂・鎮守拝殿・鳥居・末社等残らず潰失した[5]

宝光院は、明治期まで御嶽権現(現在の松戸神社)の別当寺であった[6]。この寺院で出家した高城義海は、幕末期に社殿の造営にあたり、後には護国寺長谷寺室生寺の住職を務めて明治期の高僧として知られた[6]

境内

境内には、 四国八十八箇所を巡ることができない者でも同様の効果を得ることができるとされる[7]「四国八十八ヵ所御砂踏み霊場」がある[8]。この霊場は、江戸川周辺地域の人々により、明治40(1907)年に松戸向山に開設された[9]。その後、開発により、霊場は宝光院境内に再興された[9]

千葉周作の父千葉忠左衛門の墓および周作が師事した一刀流中西派浅利又七郎の墓も境内にある[6]。周作は若き日にこの寺院の門前に住んでいて、浅利道場に通って日夜剣の修行に励んだといわれる[6]

交通

脚注

  1. 松戸のお寺編集委員会『松戸のお寺』松戸佛教会、2015年、65頁。
  2. 武石伊嗣 (2006). 武石万里子. ed. 全国三十三カ所観音霊場および全国八十八カ所霊場資料集. 神谷書房. p. 120
  3. ★東三十三ヶ所観音霊場”. 日本各地の巡礼・巡拝霊場の紹介. 2019年8月4日閲覧。
  4. 松下邦夫『改訂新版 松戸の歴史案内』郷土史出版、1982‐7‐1、107頁。
  5. 『松戸市史 松戸市史年表』松戸市、1978年3月、104頁。
  6. 松戸地域の歴史”. 松戸市役所. 2019年7月28日閲覧。
  7. 松戸市の宝光院「松戸四国八十八ヵ所弘法大師霊場」でお遍路体験!”. まつかし. 2019年7月28日閲覧。
  8. 宝光院”. 松戸探検隊ひみつ堂. 2019年7月28日閲覧。
  9. 『勧進帳 松戸四国八十八カ所弘法大師霊場再興事業趣旨書』宝光院。

関連項目

外部リンク

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