富田の清水
概要
古くから旧富田村(現紙漉町)周辺には数多くの湧水があり、「富田の清水(しつこ)」と呼ばれていた[2]。
1686年(貞享3年)、弘前藩主が津軽信政が越前和紙の和紙の職人「熊谷吉兵衛」を招き紙漉法が伝わり、以来この清水を使用して、和紙の生産が行われた[2]。和紙の生産は昭和初期頃まで行われていた。
その後、地域住民の生活用水として6つの水槽が並び、1・2番目は飲用水、3番目は食糧の洗浄、洗面用、4番目はかつては紙漉の材料洗い場、現在は野菜や漬物等の冷却用、5・6番目は洗濯、足洗い等と使用のきまりがあった[2]。100メートルほど離れた場所に御膳水と呼ばれる湧出口があり、かつてはここからも水が湧出していた[3]。
1985年(昭和60年)身近で清涼な水として古くから地域住民の生活に融け込み、良好に管理されてきたことから、環境省の名水百選に選ばれた[2]。1995年7月7日、所有者だった紙漉町清水共有会から弘前市へと寄贈された[2]。
脚注
- 富田の清水
- “環境省指定・名水百選「富田の清水」について”. 弘前市. 2022年2月閲覧。
- “弘前市内の湧き水「富田の清水」|公益社団法人 日本地下水学会”. jagh.jp. 2022年2月26日閲覧。
関連項目
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