平川町 (鹿児島市)
平川町(ひらかわちょう[2])は、鹿児島県鹿児島市の町[3]。旧薩摩国谿山郡谷山郷平川村、谿山郡谷山村大字平川、鹿児島郡谷山町大字平川、谷山市平川町。郵便番号は891-0133[4]。人口は4,257人、世帯数は1,971世帯(2020年4月1日現在)[5]。
| 平川町 | |
|---|---|
| 町丁 | |
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| 北緯31度28分36秒 東経130度30分11秒 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 地域 | 谷山地域 |
| 地区 | 谷山地区 |
| 人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在) | |
| 人口 | 4,257 人 |
| 世帯数 | 1,971 世帯 |
| 郵便番号 | 891-0133 |
| 市外局番 | 099 |
| ナンバープレート | 鹿児島 |
| 運輸局住所コード[1] | 46500-0851 |
地理
鹿児島市の南部、烏帽子岳北麓の五位野川流域に位置している。町域の北方には下福元町、北方から西方にかけては七ツ島、南方には喜入瀬々串町、西方には南九州市知覧町郡、川辺町清水、川辺町野崎にそれぞれ接しており、南部では東方に鹿児島湾に面している。
鹿児島市街方面より国道225号及び国道226号は坂之上台地を通り、町域の北端部にある影原交差点にて照国神社前交差点より重複してきた国道225号と国道226号はここで分岐し、国道225号は川辺峠を経由し、南九州市方面に接続し、国道226号はその後南下し五位野駅付近より下り坂となり、産業道路南入口交差点で鹿児島県道219号玉取迫鹿児島港線と交差する。指宿方面に接続している。また、南部にある平川交差点では鹿児島県道23号谷山知覧線が分岐し、南九州市方面に接続している。また、国道226号に沿って指宿枕崎線が通っており、町域内には北部に五位野駅、南部に平川駅がある。
公共施設は中央部に鹿児島市平川動物公園、錦江湾公園が隣接して所在しているが、平川動物公園は1972年(昭和47年)に鴨池にあった鴨池動物園が移転したものである[6][7]。教育施設は北部に鹿児島市立福平中学校、鹿児島市立福平小学校があり、南部に鹿児島市立平川小学校、西部に鹿児島県立錦江湾高等学校、南西部には鹿児島医療技術専門学校がある。
河川
- 五位野川
歴史
近世の平川
平川という地名は江戸時代より見え、薩摩国谿山郡谷山郷(外城)のうちであった[3]。村高は「三州御治世要覧」には430石余[11]、「旧高旧領取調帳」では710石余であった[3]。農村であった平川村には庄屋が置かれ、上福元村の麓に置かれていた地頭仮屋の管轄下となっていた[12]。また、平川には海の監視を行う番所である野屋敷境谷遠見番所が設置されていた[13][11]。慶長元年(1569年)と推定されている「島津忠長署判領地目録」に谷山のうちの平川村として記載されている[11]。
町村制施行以後
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、それまでの谷山郷にあたる下福元村、上福元村、松崎町、塩屋村、和田村、平川村、中村、山田村、五ケ別府村の区域より鹿児島郡谷山村が成立した。それに伴って、それまでの平川村の区域は谷山村の大字「平川」となった[3]。
1892年(明治25年)に福平小学校が現在地に開校し[15]、1902年(明治35年)には平川尋常小学校が開校した[16]。1897年(明治30年)4月1日に「
鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律第55号)が施行されたのに伴い谿山郡が鹿児島郡に編入され、谿山郡に属していた谷山村は鹿児島郡のうちとなった。1924年(大正13年)には谷山村が町制施行し谷山町となり[3]、1958年(昭和33年)に谷山町が単独市制施行し谷山市となり[17]、それまでの大字平川は谷山市の町「平川町」となった[3]。
1967年(昭和42年)に谷山市と鹿児島市が対等合併し、鹿児島市となった[18]。それに伴って鹿児島市の町「平川町」となった[3]。1971年(昭和46年)には鹿児島県立錦江湾高等学校が平川町に設置された[19]。1972年(昭和47年)に鴨池動物園(当時は郡元町、現在の鴨池二丁目周辺)が周辺の市街地化による環境の悪化のため、平川町に移転し鹿児島市平川動物公園となった[6][7]。
1977年(昭和52年)11月7日には平川町の一部が七ツ島一丁目に分割され[20][3]。平川町地先の公有水面埋立地の一部が平川町に編入された[20]。
人口
以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[21] | 4,296 |
| 2000年(平成12年)[22] | 4,309 |
| 2005年(平成17年)[23] | 4,110 |
| 2010年(平成22年)[24] | 4,019 |
| 2015年(平成27年)[25] | 4,141 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[35]。
| 町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 平川町 | 1 - 2401、5504 - 6238 | 鹿児島市立福平小学校 | 鹿児島市立福平中学校 |
| 2432 - 5410、5419、5461、9784 | 鹿児島市立平川小学校 |
交通
港湾
- 鹿児島港
- 浜平川港区
脚注
- “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
- “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年10月25日閲覧。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 550.
- “鹿児島県鹿児島市平川町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年3月20日閲覧。
- “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- 南日本新聞 1990, p. 910-911.
- 原口泉 2015, p. 94.
- 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 29.
- 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 62.
- 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 43.
- 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 189.
- 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 370.
- 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 326.
- 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 373.
- 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 745.
- 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 748.
- 町を市とする処分(昭和33年総理府告示第332号、昭和33年9月30日付『官報』第9532号、
原文) - 市の廃置分合(昭和41年自治省告示第155号、『官報』昭和41年10月28日付第11963号、
原文) - 南日本新聞 1990, p. 875.
- 町の区域の新設並びに変更(昭和52年鹿児島県告示第1370号、昭和52年11月7日付鹿児島県公報第1370号所収)
- “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- “平川福祉館”. 鹿児島市. 2021年3月20日閲覧。
- 南日本新聞 2015, p. 982.
- 南日本新聞 2015, p. 960.
- 南日本新聞 2015, p. 951.
- 南日本新聞 2015, p. 950.
- “平川郵便局(鹿児島県)”. 日本郵便. 2021年3月20日閲覧。
- 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 425.
- 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 444.
- 南日本新聞 2015, p. 1096.
- “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
参考文献
- 谷山市誌編纂委員会『谷山市誌』谷山市、鹿児島県、1967年3月30日。, Wikidata Q111435390
- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅳ』 4巻、鹿児島市、1990年3月15日。, Wikidata Q111372875
- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅴ』 5巻、鹿児島市、2015年3月27日。, Wikidata Q111372912
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9。, Wikidata Q111291392
- 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544。
- 原口泉『意外と知らない鹿児島県の歴史を読み解く!鹿児島「地理・地名・地図」の謎』実業之日本社、2015年。ISBN 978-4-408-45538-9。
関連項目
- 平川町(曖昧さ回避ページ)








